学級ルール
生徒が参加できない決定というものがあります。
たとえばカリキュラムのようなものです。(もしあなたが生徒たちにそれを決めている大人に対して話してほしいと思っていなければですが。)
しかしながら、ほかにもたくさんのことを生徒たちは決める事ができます。
生徒たちは一旦招かれ、決定を成すことに参加すると、彼らは非常に動機づけされ、決定されたことに対して協力しようとします。
沢山の先生が次の提案を実行してくれています。
ほとんどの教室ではルールが張り出してあります。
どういったルールであるべきかをブレインストームした学級には、「私たちが決めました。」という見出しで始まるルールが掲げてあります。
そのルールは、子どもたちの意見なしで先生が決めたルールとほとんど同じに内容です。
両方を試した先生は、生徒がそのルールについて話し合いをしたほうが、協力や相互尊敬がなされると気づきました。
多くの先生が、遠足に行く前に、まずはクラス会議で話し合った方がうまくいくということを見つけ出しました。
生徒たちに、遠足を悪い経験にしてしまうようなあらゆることを話し合ってもらい、それらの潜在的な問題の解決策を話し合ってもらいました。
その後、その遠足を素晴らしいものにするために必要なことは何なのかということについて話し合うことができました。
クラス会議は代理の先生の仕事を楽にさせることにも役に立ちます。
私はこの議題をクラス会議で取り上げることがあります。
こんな風に尋ねます。
「代理の教師を悩ませるようなことはどんなことがある?」
子どもたちは自分たちがしてきたたくさんの項目をあげてくれます。例えば、名札や席を入れ替えるとか、本を落とす時間を決めるといったことです。
それから、そういったことをされたとき、代理の先生がどのような気持ちになるかを尋ねてみます。驚くことにほとんどの生徒が代理の先生がどのような気持ちになるかを考えたことがありませんでした。
彼らは、傷つく、悲しい、怒り、といった項目をだしました。
それから、どのようにしたら代理の先生と過ごす時間をよいものにできるかを尋ねます。
そうすると毎回子どもたちは機会さえ与えられれば、いかに思慮深いかということが伝わってきます。
それから、生徒たちに傷つける代わりに手助けをしたい人はどれくらいいますか?と尋ねます。
彼らは合意します。
代理の教員は、クラス会議を定期的に行っている学級で授業をすることがいかに楽しいかということをコメントしてくれます。