叱る、褒める、勇気づける

叱る、褒める、勇気づける

これは、様々な状況があるので、一概にはいえないけれど、私は、叱らずに済むのであれば、それに越したことはないと思っています。

叱るよりも、自分の行動を振り返り、果たしてこれからどうしていったらいいのか?という思考を促すほうが好きですね。

 

褒める。これに関しては、気を付けないといけないことがあると思います。

それは「褒めないとやらなくなる。」ということです。

そして、アドラー心理学では、叱る褒めるは推奨していません。

なぜなら、上下関係を築きやすいからです。

そう考えると、褒める叱るを推奨しないというよりも、上下関係を推奨しないというところでしょうか。

そもそも対等、相互尊敬、相互信頼というものが土台なわけですから、あまり適さないですよね。

 

たまに質問で、叱ること、褒めることも必要なときもあるんじゃないですか?と聞かれることがありますが、そういう場合は、叱ること、褒めることで、成し遂げたいことはなんだろうな~と思うわけです。

本当にそれを達成するための手段が、叱ったり、褒めたりすることしかないのかな~と思ったりします。

しっかり考えて、それがベストなのだとすれば、それはそれでいいかなって思いますが、やはり私はイヤかな~。

もうこの辺りは、その人がどのように生きていきたいか?というところになるんですよね。

 

というか、そもそもそこなんですけどねwww

あ、話がずれそう・・・ちょっと話を元に戻して・・・

 

で、褒める、叱るの代わりといえば、やっぱり「勇気づけ」ってことになります。

そもそも「勇気づけ」って何なのかといえば、アドラー心理学を学ばせていただいたヒューマンギルド代表の岩井俊憲先生によれば

「困難を克服する活力をあたえること」

ということです。

私なりの解釈ですが、「まぁちょっと大変だけど、自分のことだしがんばってみるか!」と思える感じのことかな、と。

結果的に相手がそう思えば、どんな言葉でも、どんな態度でも「勇気づけ」になるのだと思います。

逆に、どれだけ褒めても、相手がそう感じなければ、勇気づけにはならないということだと思います。

それでもあえて、勇気づけになりやすい言葉を紹介するとすれば、「ありがとう、うれしい、たすかる。」でしょうね。

 

また、「認める」ということも「勇気づける」ことにつながることが多いと思います。

褒めるのは、何かできたことに対しての反応ですが、そうではなくて、

「すでにできている当たり前のことを伝える」

という感じでしょうか。

 

私たちの行動の95パーセントは適切な行動をしているといわれています。

しかし、どうしてもできていない5%に目が行きがちです。

そして、その5%があたかも95%のように認知してしまうことがあるようです。

そこをぐっとがんばって、95%の適切な行動に目を向けるようにしていくということです。

 

普段、何気なく過ぎてしまっている行動に目を向ける。

「認める」というよりも「見止める」のほうがしっくりくると思います。

当たり前の行動を流してしまうのではなく、ぐっと止めて、そこを伝える。

そんな風に関わっていくことで、「勇気づけ」につながるんじゃないかな~と思っています。

 

学校に来た、あいさつをしてくれた、授業中座っていた、こちらを見てくれた、話を聞いてくれた、ノートをとってくれた・・・・

こんなことを当たり前だと流してしまうのではなく、見止めて伝える。

そういうことに目を向けることが大事なんだろうなと思っています。

 

次回は、生徒の心の内側を知るためにはどうしたらいいか・・・について。