「人間が生まれてはじめて抱く欲求は、自分の面倒を自分で見られるようになりたいという欲求です。子供は自分の面倒を自分で見ることを学ぶ必要があり、この学習プロセスは生まれ落ちた瞬間から始まっているのです。」
このあたりは実際に赤ちゃんに聞くことはできないし、脳の中身を調べることはできないけれど、アドラー心理学(ルドルフ・ドライカースとビッキ・ソルツ)は、赤ちゃんの行動などを見て、そのように捉えたということ。
子育ての目標が「自立」であるとするならば、私はこの考えを支持したい。
このように捉えたほうが「信頼」につながると思うから。
このように生まれたときから子どもに「自分の面倒は自分で見られるようになりたい!」という欲求があるのだとすれば、私たちができることはいかにその思いを妨げないように関わるか、サポートするか、といいうことであり、何かを与えることではないということになる。
「子どもの要求をなんでも聞き入れてやるのが必ずしも「良い母親」とは言えません。自分が常に家族の中心にいないと満足できない赤ん坊は、決して幸福な子どもとは言えないのです。真の幸福とは、他人の注目に頼らず、自分の面倒を自分で見ているうちに自然と生まれてくるものです。」
ここは「良い母親」となっているけれど、「母親」に限る必要はない。
父親も祖父母も上司も教師も友達も。すべてに共通することだと思う。
特に祖父母に伝えたい人は結構いるだろう(笑)
そして、真の幸福とは~のところがアドラーらしいところなのかな。
人からどう見られるか、とか、自分が他者に承認されているかどうかということは真の幸福ではない。もし他者からの承認をもって幸福だといしている人がいれば、それは幸福ではない、ということ。
人としての仲間に認められるということは必要だとは思うけれど、それに「頼って」はいけないということ。
「スタンの母親は、息子を事故から守ろうとしているつもりが実際は、彼の無能力さを指摘し、危険に対する彼の恐怖心をあおっているのだろいうことに気づくべきなのです。」
この文の前で、スタンの母親は、息子の公園での遊び方にあれやこれやと口を出している場面が描かれています。「そうやってブランコのっちゃあぶないでしょ!」「滑り台を登るときは気を付けてね。落ちたら大変だから。」などなど。
母親の気持ちは分からないでもない。確かに落ちてけがをしてしまったら大変だし、なによりも自分の時間を病院通いなどで取られてしまうかもしれないですからね。
ただ、自分の取っている行動が、なんらかのものとトレードオフされているという自覚は持ってほしいな。
「子どもには危険な状況に対する対応能力を伸ばし、試すチャンスが与えられるべきなのです。子どもから目を離していなさいということではありません。ただ、その子が自分の手に余る事柄に挑戦しているときに、そばで見守ってやればいいのです。」
この試すチャンスを奪い続けていると、「自分からやる」ということをやめてしまうことにつながります。
さらに試すチャンスを与えていても、その結果に対して非難は批判、評価をすると、「自分からやる」ということをやめてしまうことにつながります。
そして、その両方をやっているにも関わらず「自分からやろうとしないんです・・・」
当然の結末なんですけどね。
といったように、今回もたくさんの納得の文章がありました。
こんな感じで丁寧に、でも、ゆる~くやっている読書会。
具体例もたくさんあるし、みなさんの子育てあるあるも聞けて、楽しい読書会です。
本を持ってなくても大丈夫!
場所も昭和の香り漂うゆったり感満点の長屋です。
ぜひ次回参加してみてはいかがでしょうか