石川晋先生の「学校でしなやかに生きるということ」
石川先生とは1度しかお話したことはない。
DVDでは3回くらい観た。
SNS上でのやりとりは何度かさせていただいた。
そんな石川先生が何を思い、考えているのかということを知りたいな、と思って購入。
もし自分が中学生のころに著者の石川先生に会っていたら、どんな感想をもっていただろう。
きっと、「変わった先生だな~」という感じかな。
なんだかやっていることはすごく熱いのに、先生との距離は近いようで近くない。
そんな風に思ったかもしれない。そのギャップが「変わった先生だな~」につながるのかも。
マジョリティ超優勢文化の学校において、視点のスタートがマイノリティ。個といったほうがいいかも。
(でも、最初にもった感覚が、「少数派だな~」だったので、マイノリティということにしてみる。)
マイノリティだからこそ「しなやか生きる」必要性があるのか。
また、「しなやか」という言葉はきれいな響きだけれど、そこに泥臭さは含まれている。
振り返って自分自身もマイノリティだと思う。
学生時代は転勤族だったため、小学校スタート時、中学スタート時、高校もそこへ進学したのは自分1人だったので、それぞれの学校における所属感はゼロだった。(高校くらいからは普通なのかもしれないが、今現状の中学生の進学先を見ていると、やはりマイノリティな選択。)
その後も会社を転々とし、サラリーマン社会である日本においては、マイノリティだと思う。
今の自分の家族構成もそうだ。
そんな背景もあって、この本に書かれていることは、納得できるところが多々あった。
学校の先生の話だけれど、結局それは社会でも同じこと。
マイノリティである自分は、しなやかでありつつ、したたかに、自分の軸をしっかりもって、見えないところで根を張り、つながっていく。
そんなことが必要だと感じている。
ただ、結局だれだって突き詰めれば唯一1人の人間であり、そういう意味ではすべての人がマイノリティ。
そう考えると、人が社会で個人というものを大切にしてい生きていくためには、この本に書かれているような姿勢は必要なのかもしれない。
また社会全体で考えたとき、このマジョリティとマイノリティのバランスが今は崩れているのではないかということにもつながった。
かなりざっくりいうと、ここでいうマジョリティはサラリーマン、マイノリティは自営。
このバランスが崩れてしまったがために、いろいろと窮屈な感覚をもっているような気がする。
そのバランスいい塩梅にして、全体として、もう少し今の生き方に幅を持たせて、それぞれが豊かに生きることのできる社会がつくれないだろうか?ということに向けて現在の自分の活動がある。
それが、自主学校瀬戸ツクルスクールであり、立ち止まる学校であり、キャリアスポットという流れ。
ここで一連の縦のつながりをつくることで、マイノリティとしての軸の強さを持たせ、全体のバランスをとるために役立てるのではないか、という予測がある。
あ、本の内容にほとんど触れてない(笑)
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