80年代に生まれた幸せのカタチ

幸せの戦後史

第二部 家族の変容と個の漂流

第二章 虚の国の旅人たち

1950年、力強い復興からスタートしたが、実は1960年半ばには頭打ちになってきた。

それまでの、「階層上昇」「だれにでも成功するチャンスがある」という物語が終焉しつつある。

とって変わった物語が、「新中間層」「総中流化」

しかし、その「中流」というのは、ひとそれぞれ違いがあった。

このままでいきたいという保身性とそれでも上流に上がれないんじゃないかいう批判性が混在。

この「総中流化」は「階層上昇の終焉」を隠すために拡散された意識のデマ

1975年、実は専門職や管理職は階層相続がされているというデータがでたことが一つの決定打。

そんな時代に、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999、ガンダムが生まれている。ピンクレディーもこの時代。

現実が虚構化しているなかで、虚構のなかに現実を構築するようになった。

虚構であるはずのアニメーションのなかに、現実のルールをあてはめようとして、その粗さがしに夢中になる。

これが熱を帯び、「オタク」という意識が生まれた。

この「オタク」は消費社会の波から外れて、まさに自分の世界のためだけに消費するという行動。実はここには、追い立てられるように消費していくという流れから外れて、自分の世界のためだけに消費をするという甘美な自由が漂っていた。

さらに、そのアニメーションの中に、奥行きを持たせることで、さらにその熱を煽った。

宇宙戦艦ヤマトにキャプテン・ハーロックがでてきたことが、その一つの象徴。

なんだかこの虚構の世界のなかにも壮大な世界があるような気がする。それを知りたい。

こういったものを「偽史」

これには、ナウシカやAKIRA、北斗の拳などがあたる。

ビックリマンチョコも。

 

ここに至る動機。

1・性・・・基本的にオタクがはまる女子は第二次性徴終了後のオトナの女子であり、戦闘美少女。ここには様々な多形倒錯が反映することができる。

2・家族の変化・・・家族の再生産の倫理を失ったのではないか?中流意識という軸をもち、そこから脱しないための戦略として、私的な欲望にも関わらず、「教育費負担」や「母体の健康」という公私の狭間に、子どもを生まないという理由を置いた。そして、息子が父を越えていける、というストーリーが終わった。父子間の緊張が終わることで、母親への執着も終わり、性的想像性を別に向けた。その思いを受け止めたのが、虚構のなかの戦闘美少女。

 

女性の変化もあった。

80年代は消費社会の高度化。消費主体が個人へ。

家族のカタチが変わってきた中で、簡単にその自分らしさを可視化できる「モノ」を購買した。

しかし、モノをそろえればそろえるほど、自分を見失うという循環。

そしてこのモノ時代(ブランド天国、金満日本)はブランド人同士の御成婚で終了した。(ここでは郷ひろみと二谷友里恵、そして二つのロイヤルウェディングをあげている)

つまり、金では買えないものがあるのだということ。

そして、消費的民主主義が終わった。

ただ、この意識は社会に潜り込み、環境がきびしくなったバブル後に、「自分探し」という流れになっていった。

そのころにでたのがエヴァンゲリオン。

これがオタク・アニメの総決算であり、その終焉。物語の最期で、意図的に物語を崩壊させ、自分のなかで閉じこもっているんだろう!というメッセージを投げかけた。

 

感想

1983年に東京ディズニーランドが開園している。

夢と魔法の国。

まさに虚構が一番現実化したのかな、と読んでいて思った。

 

ここまでくると自分の生きてきた時代も入ってくる。

たしかに、宇宙戦艦ヤマトにキャプテン・ハーロックがでてきたとき、かなり胸が躍った記憶がある。

そことそこがつながるの!!!というような。

そのころはまだ幼かったので、現実の虚構化に期待を裏切られ、虚構に走ったわけではないけれど、その虚構の奥行の面白さは感覚としてあったと思う。

父との関係。「父を越える」という意識はない。勉強すれば父を越えられる、という意識もなかった。

ただ、そこで虚構に入れ込まなかった一つの要因として、父母が高卒だったことはあるかもしれない。

そういう意味で、大学に行くことで現実として、父を越えた、という捉え方は可能。

もちろんそんなことは意識はしていなかったと思うけど。

80年代、私は小学生~中学1年生。

当時自分が夢中になっていたのは、バック・トゥ・ザ・フューチャーであり、香港ポリスストーリー。

虚構に魅かれるとともに、ジャッキー・チェンのスタントなしという現実の両方に興味を魅かれていたということかな。

バブルを直接は享受していないけれど、マイホームを買おうか、という行動を家族がとったことは覚えている。

これは在る意味バブルのなせる業だったのかもしれない。

 

バブルと聞いて、最初に思い出す映画は、「私をスキーに連れてって」

なんでだろう(笑)

この本では80年代についてはアニメを取り上げているけれど、音楽シーンを考えるとまた面白いだろうな。

ザ・ベストテン 1978年1月19日から1989年9月28日

1978年にサザンオールスターズがデビュー。

松任谷由実第二次黄金期。

1981年boowy結成

1983年尾崎豊デビュー

音楽とは関係ないけど、この年にファミリーコンピューターが発売

1985年ブルーハーツデビュー

80年代のピカピカ洋楽・・・

オレたちひょうきん族からの天才たけしの元気がでるテレビ・・・

 

考えだすときりがないから、まぁいいか(笑)

 

自分の感覚としては、なんとなく浮かれつつも、現実にしらけつつも、そこに反抗するという感覚があったこの時代かな。

あるいは虚構と現実をいったりきたりしていた、というような。

 

幸せということで考えると、

1950年代は「階層上昇」という物語は現実に即していたために、そのまま幸せ感につながっていたかもしれないが、

1960年代からほころび始めたその物語を、「総中流」という新しい物語が補完し始めた。

しかし、そこには虚構があり、そこに幸せ感を求めることにシラケた人たちが、自分の中にだけある幸せに浸るようになったということか。

その象徴的な社会意識が「オタク」。ということなのかな。

次はオウム真理教についての内容に移っていく。