改めていじめ対応について考える

児童心理を読み進める。

今回は2013年8月増刊号”改めて「いじめ対応」を考える”

気になったところ、考えたところ。

 

1・いじめの変化

第一期:昭和60年~平成にかけて

身体的特徴やマイナスの特徴をあげつらって、いじめの標的が選定されていた時期

第二期:平成初期が中心

プラス過ぎる特徴をもつ生徒がターゲットになった。自分たちの仲間の許容範囲が狭くなった。

第三期:平成10年前後が中心

見えなくなってきた。見ようとされなくなってきた。ひとりひとりにとって身近になってきた。身近になってきただけに自分への飛び火を怖れて、無関心を装う傍観者が増えたことで、見えにくくなってきた。

第四期:平成20年前後が中心

一定の人間関係を持つ仲間集団の中にいじめが入り込み始めた。そこにネットいじめが拍車をかけ、ほとんど見えなくなった。

 

2・「いじめっ子」の言動~その心理的理解と指導援助~

5つの記事が掲載されていたが、だいたい共通することは、いじめっ子を高圧的に権力的に抑えつけるのではなく、集団のなかで考えていこうというスタンス。

見えないイジメ、皆が手を染めてしまう可能性のある現在のいじめのなかで、それを高圧的に指導しようとしたとしても、おそらく完璧にスルーされるか、多くを敵に回すかということになってしまうような気がする。

事が起こってからではなく、起こる前やいじめの入り口になるようなことを見聞きしたりしたとき、そして、定期的に、「いじめ」ということに対して投げかけて、振り返る時間を設けることはできることかもしれない。

 

3・「いじめられっ子」の言動~その心理的理解と援助

6つの記事が掲載されていた。

現代のいじめの中での傷つきで一番大きいのは、信頼していた仲間から裏切られた、という感覚。

一定の仲間関係のなかでいじめが行われるようになった現代。

見えにくくなり、傷つきが深くなる可能性が高くなるということは覚えておきたい。

 

4・いじめの予防に向けて~担任教師へのアドバイス

ここも6つの記事。

全体としては王道。やはりショートカットはないと思う。

自己肯定感を上げる。信頼関係を築く。環境を整える。

あとは、「いじめ心」は誰にでもあるという前提に立つこと。

「いじめ行動」は絶対にいけない、という毅然な姿勢を見せつつも、人は「いじめ心」を持ってしまうことがあるということも許容しておくことは大事だと思う。

なぜならば、あまりにも強い光は、それに応じて強い影が作られるように、すべてを白か黒にしてしまうと、戦うか相容れない(ここの場合は、絶対に見せない、知らせない)ということにつながるような気がするから。

 

・家庭

こういった見えないイジメが特徴的な現代、家で何ができるのかということになる。

ひとつの事件の判例が例に上がっていた。

いじめられて身体に長期的なケアが必要になってしまった事件で、学校設置者(自治体)と加害児童の保護者に対し、約273万円の支払いを命じた判決。

加害児童の保護者は現場にも学校にもいなかったのに、判決はその責任を認定したということ。家庭外にいたとしても保護監督すべきであるということ。

”(親権者)は少なくとも社会生活を営んでいくうえでの基本的規範の一つとして、他人の生命、身体に対し不法な侵害を加えることのないよう、自分の子に、常日頃から社会生活規範についての理解と認識を深め、これを身につけさせる教育」を行う義務、すなわち保護監督義務がある。「他人の生命、身体に危害を加えるような社会生活の基本規範に触れる性質の事故である場合」は、「たとえ子どもが学校内で起こした事故でも」「保護監督義務を怠らなかったと認められる場合でない限り」責任が問われる、と結論付けた。”

普通に考えれば、普段の生活のなかで伝えているだろうことだとは思うけれど、今一度、本当に伝えられているだろうか、知らず知らずのうちに、それを許容してしまっていないだろうか、ということを振り返ることが、まず家庭でできることなのかもしれない。

 

文部科学省のHPより→いじめ対応のヒント