ツクルとお金

ツクルではやりたいことをやるためにお金をもらっていません。
長くなりますが、その理由や目的を。

・モチベーションとして。

今までやったことがないことにチャレンジする場合のモチベーションは「これからどうなるかワクワクするわ~。やりたいことができるわ~」ってことです。
それに対して金銭的報酬は必要ないです。むしろ害。アンダーマイニング効果。
どうせもらうなら、その動機をめちゃめちゃ超えるくらいじゃないとねw 80億とかw すずめの涙のようなものをもらうくらいなら、いりません。数百万でお茶濁されるほうが嫌。そんなちんけなことのためにやってるわけじゃない。

・そもそも何がしたいのか。

小中学校のだれもが選べるであろう選択肢をつくりたいと思って始めていて。たぶん学校をつくりたいときって、「自分のやりたい教育をやりたい。」というのと「選択肢を創りたい」ってのがあるんじゃないかな。ざっくりと。
 
そのバランスがどうなってるかっていうと、私は後者が圧倒的に高い。

ということで、できるだけ多くの人にとっての選択肢をつくりたいってなったときに、どうしてもハードルになるのがお金ですよね。だいたい一人につき平均5万円くらい? 一人ならなんとかなるかもだけれど、二人、三人となるとね。ほとんどが無理だし、そういうところに払える人はすでに私立にいれてるよねw 結局オルタナティブっていったって、お金のある人しかいけない富裕層のおもちゃになりかねない。それじゃぁおもしろくない、庶民層の私w

それにお金をかけてやる学校なんていくらでもあるし、やりゃできる。わざわざ自分がつくるまでもない。なによりワクワクしない。最初に戻るんだけど、いわゆる一番の報酬のワクワクを私はゲットできないことになるw

ということで、ものの見方として、「お金はない」という前提で何ができるかということに知恵を絞ることになる。

まぁこんな感じのモチベーションで始めたわけだけれど、当然その後もこれらをどのように捉えていくかということは考え続けていて。

そういえば自主保育ってやってるよねって思って。なんで学校でやんないんだろうって思ったわけですよ。で、みんなは先生たちに主にどういったことに対して対価(税金)を払って納得しているかっていうと、やっぱり教科学習ってことですよね。そもそもそれを今の学校はそれを旗印にやっているわけで。もちろんそれだけじゃないけれど、じゃ授業しない先生がいたとしたら、きっとそれは許されないですよね。だから現実として、それがメインであることは否定できないんじゃないかと思っています。
 
で、ここでネット学習の登場なわけですね。おぉ今の時代は無料で授業は提供できるじゃん。しかも高い均一性で。
もちろん既存の学校の先生のなかにいるほんの一握りのスペシャルな授業をできるわけではないけれど、少なくとも、変に傷つけられたり、辱められたり、見下されたりすることはないわけだ。

なるほど。だとしたら、その分のお金はいただかなくていいよねってことになる。なのでスタッフに入ってもらう人は、何もしません。したけりゃすればいいんだけどw 基本、緊急連絡役ですかね。
 
さらに、うちのような学校に興味を持ってスタッフをやってくれる人は、教育に関心がある人という前提がある。

で、目の前で、ほかの学校では体験できないことを体験できるわけだ。だとしたら、そこにお金なんていらなくね?と思うわけですね。むしろお金払ってもくるんじゃないの?とw 
 
実際に参加した人は、今までに学んだことのないような学びをしたという人がほとんどです。私もそう思います。だからボランティアとかそういう話ではないですよね。大人も学びに来てるんです。子どもも学びに来てるんです。だったらそこにお金いらないでしょって。

まぁ世の中にはそうは思えない人もいるよねってことになるけれど、そもそも新しいことをやっているんだから、最初はそういうところについて来られない人はいるわけで。こういうときは、コンセンサスを取るんじゃなくて、とにかくやりたい人ががんがんやって実績つくってくっていうのが大事で、そういう時期だと今は私は思っています。お金や評価はあとからついてくる。

植松さんも、「なんでも世界発は個人なんです」っていってるし。

この個人のワクワクを削いでしまうのが、今の消費社会の中のお金なんだと思います。なのでいらないです。

さらに、これをやったら、これだけもらえますってのもなんだか昭和かみたいな感覚でね。だってGoogleの一番使うサービスは無料じゃんって思うわけです。学校って今目の前のことをなんとかしようと思ってるわけじゃなくて、これからの未来をどうしていきたいかってことだと思ってて。

そんなんじゃ生活が立ち行かないじゃないかってこともあるんだろうけれど、そういう方は教育以外でやればいいと思います。

あぁ書ききれねぇw

まだまだあるw お金が教育を歪める可能性のことや、働き方のこと、対等性のこと、ストレスレスのこと、持続可能な事、みんなでやる(200人)ってこと、10年後にどうなってるかってことなどなど。

ツクルではやりたいことをやるためにお金をもらっていませんパート2

お金に対する捉え方っていろいろあって、信頼を表すものだよなって思ったりするんだけれど、一方で現状は「責任を逃れるため、あるいは、おしつけるための道具」になってしまっている気がする。「お金払ってるんだから」って。消費社会の最たるものの一つだと思うんだけれど。

で、もともとお金を払わなくていいという概念が一般的にある小中学校でお金をもらうと、「払ってるんだから」って気持ちになる。私でもなる。
 
でも、いまやろうとしていることは、そういうどっぷりと消費社会(稼げる人がすごい人みたいな)に浸かっているところとは違うものをつくろうと思っていて。
 
そういう新しいものを一緒に作りたいな、と思うと、やっぱり少しでもお金を払っていると、やってくれって思うだろうし、やってもらって当然みたいな感じになると思った。
 そして、もらってしまうと、どうしても無理しようとしちゃうこともでてきて。そうすると、「こっちだってやってるのに」って思ってしまうことにもつながるな、と思って。そうするとストレスに繋がって、続けられなくなると思う。

これは1円だろうが10万円だろうが同じだと思っている。そうやって対等な関係を持ちつつ、お互いに感謝の念を持ちつつ続けていこうと思うと、お金は邪魔になると考えたわけです。

これは子どもとの関係でもいっしょで。子どもも高学年にもなれば、先生がお金をもらえるから働いていることくらいは分かりだしたりするし、そうでなくてもなんとなくそこに対等性はないなって思うんじゃないかな。
 さっき書いた責任にもつながるんだけれど、そういうお金の損得なしに、対等なわけだから、それぞれに、それぞれなりの責任が存在していて、それを均等に背負っていくことが大事なんだと思ってて。
 最近はこの責任のバランスがすごく崩れていて、あっちいったり、こっちいったり。結果一番当事者の子どもの子どもなりの責任が見えにくくなってたり。人はある意味責任を負うことで成長したりするわけだから、そういう機会を奪ってしまっているような気がして。

そう考えると、対等性のあるなかで、子どもも大人もともに新しいものをつくっていこうと思うとやっぱりお金はどちらかというと邪魔なものになるなということですね。

そうやってみんなで分担することで、可能かなって思っていて。学校は実質稼働日は200日くらい。だとしたら、スタッフが200名いれば1年に1回5時間で回せることになる。これはそんなに難しいことではないと思っています。というか、新しいものをやろうとしているときにそれくらいの人数が集められないようじゃ力不足ってことで(書いていて自分の胸が痛いですが)だから、1年に1回でいいのでどなたでもスタッフしにきてくださいねw

もう少し現実的な話をすれば、今通学している保護者が、時々スタッフとして入ってくれていて。ただ、自分の子どもがいるとね、なかなかw だから、自分の子どもが卒業したあとにね。1年に1回くらい入ってもらえたらいいなって思うんですよね。で、そんな風に順繰りにしていったら、きっと10年たてば回せるようになると思うんですよね。さらにもう少したてば、今のメンバーが大きくなって、大人になって、ツクルスクールの意味が分かれば、1年に1回くらいスタッフで入らせるw
 もし1年に1回、5時間。その時間も作れないっていうならば、それは生き方を考えたほうがいいかもしれないなって思うわけです。
 まぁそんなこんなでやっぱりお金はいらない。

ツクルではやりたいことをやるためにお金をもらっていませんパート3

私は今までいくつかの教育関係の仕事をしてきましたが、お金が本来の目的を歪めてしまうことが多々ありました。その会社や自分が未熟だけだったかもしれませんが、お金の力にはあらがえませんでしたね。もっと端的にいえば、生徒募集ですね。いくらよいと言われることをやっていても、生徒が来なければ、もしそれを生業にしていたら、生活できなくなるわけです。余裕があるうちはいいんです。でもそうじゃなくなったとき、様々なことを犠牲にしだします。そして理念にまで。特に教育といったものは、そこが大事だと思っていて。

「生徒募集のためなら仕方ない」この空気となんども出会ってきました。そして本来のやりたいことをどんどん追いやってしまう場面を見てきました。某大手企業がつくった学校も結局は当初の思惑とは違う方向に転換していました。

というわけで、やっぱり生徒募集で信念を曲げたくないということもあり、そうなるとお金は邪魔なんですよね。

スポンサーや補助金をお願いすることもできますが、そもそもめんどくさいw
それに、それは自分の力をつけることにならない。そこに力をかけるくらいなら、本を一冊読んだ方がいいも思っていて。また、一旦頼ってしまうとどうしても頼り癖がついてしまう気がするので、そうすると力強さが減少してしまう気が。

どこかの自治体は、お金があるから、そういう市民活動の補助を結構してくれるらしい。でも結局それが、その活動の勢いを削ぐ形になってしまうと聞いたこともあって。もちろん必要な活動はあるから、そういう制度がいらないと言っているわけではなく、総合的にツクルスクールにはデメリットの方が多いと判断してます。

あと、お金を出すとどうしても口も出したくなると思って。この辺はオルタナティブスクールが、国にお金を出してもらうことに、無条件で賛同できないところ。一番いいのは、お金は出すけど口は出さないw でもそれは無理だろうな、と。
ということでお金はなしで、