一人一人の力を最大限に発揮する

地域課題解決策づくり その3

引き続き少子高齢化に対しての貢献。

そこについての貢献も可能だということは以前の記事で書いた→http://www.ichiojuku.com/?p=2683

ここについて貢献できる2つのこと。

1・労働期間の幅を広げる。

2・ひとりひとりの力を最大限に発揮する働き方をする。

まず1については前回の記事について書いた。→http://www.ichiojuku.com/?p=2758

今回は2について

「一人一人の力を最大限に発揮する」

引き続き少子高齢化は歯止めが利かない状態。

そして、人数×労働力=生産力(かなりざっくりだが)だとした場合、

もうしばらくは人数は増えないという現実がある。

だとすれば、労働力をアップするしかない。

一人一人の力を最大限に発揮することがキーポイントになる。

 

では、一番伸びしろがあるのはどのあたりか。

トップ2割はどんな状況でもきっとやっていくだろうし、国も積極的に援助するだろう。

(ここでいうトップや中間層という分け方は、学校についての話なので、単純に成績ということにしておく。)

中間層の6割。

ここの半分以上も工夫次第でトップ2割についていけるような気がする。

ということで、とりあえずは半分以上はなんとか学校でも十分に伸ばしていけるだけの機会はあるとしておく。

中間層の半分以下。

全体のなかだと3割。

ここが一番の伸びしろがあるし、きっと今の学校教育では伸ばしきれないところ。

国もあまり力をいれないところだと思う。

 

なぜこの層が力を発揮しきれないのか。

おそらく自分の力に対して有能感を持ちにくいだろうから。

もともと生まれた瞬間に自分が無力であると思ってはいないだろうから、学習性無力感だろう。

 

今の学校システムだと、一旦あるレベルに属してしまうと、なかなかそこから抜け出せないというのが実情だと感じている。

その証拠に、成績下位の子が上位になると映画になってしまうくらいだから。

だとすれば、6・3・3の12年間、下手すれば、6・3・3・4の16年間、

「君は平均以下だね。」

と言われ続けるということになる。

こんなところで有能感が育めるだろうか?

 

大人が一つの会社で、18年間平均以下の評価であった場合、そこに自分の力は素晴らしいんだと思えるだろうか。

そう思える割合はかなり少ないのではないか。

大人でもそうなのだから、子どもはなおさらだと思う。

もちろん何かのきっかけがあれば十分に思えるチャンスはあると思うが、人数的にみると少数のような気がする。

 

だから、結果的に学力重視であり優位だとする今の学校教育システムでは、この中間層の半分以下の部分に対しては、有効な手立ては打てないのではないか。

 

どんな手を打てばいいのか。

まずは、無力感を育むものを取り除く。

それは学力による評価を取り除くことであり、不得意なことを本人の許可なく無理やりやらせないということ。

そうすることでまずは学習性無力感を軽減できる。

次に、その子のできているところ、得意なところに注目を与える(主に勉強以外が中心になるだろう)

それによって有能感を育てる。

そうすることで、その子の力をしっかりと発揮できる土壌をつくる。

そして、その子の得意なことをどんどん伸ばしていく。

そんな流れ。

 

そのほかにも、自己決定性を育てることも大切であり、能力の凸凹を補完し合えるネットワークも大切。

 

こんな単純ではないことは分かっているし、杓子定規的にやるものではない。

けれど、おおまかな一つの流れとして、こういう役割を担うことができる場所があってもいいと思う。

そして、それは自主学校が担えるところだと考えている。

学校教育システムでは育みきれないところを、自主学校で伸ばせる可能性は高い。

そうすることで、結果的に人数が減った分だけの補完は可能になるのではないか。

もちろんどれくらいの生産力が必要なのか?というところは考えなければいけないが。

 

今回はランク分けするような内容で書いたが、これは物事を考える上での流れ。

この伸びしろの在る子どもたちは、、現学校教育システムのなかで、弱者というように見えてしまうかもしれないが、それは、たまたまそのシステムのなかでそこに位置してしまっただけであり、社会的弱者になってしまうような能力では決してない。

人としてはみな素晴らしい力を持っており、対等な関係であると思っている。

 

こんなことも踏まえて、自主学校はこれからの地域を支えていく人財の教育によい影響を与えられる存在だと考えている。