「羨望や嫉妬、妬み」とどう付き合うか

今日もクラス会議の勉強をママたちと。

クラス会議の土台がアドラー心理学なので、当然そこもやる。

 

今回は「劣等感」について。

現代のアドラー心理学では、あまり劣等感には注目していないよう。

アドラーの劣等感の捉え方は、「羨望や嫉妬、妬み」を変化させるものだと思う。

 

「劣等感は、自分と他者とを比較して、自分は劣等であると感じるということではなく、理想の自分(自己理想)と現実の自分(自己概念)とを比較して、現実の自分は劣等であると感じることです。」

(アドラー心理学教科書 ヒューマン・ギルド出版部)

 

「Sさん、ユーモアたっぷりで話せていいな~」というままだと、Sさんに対して意識が向かっている状態。

もちろん自分がSさんになれることは100%ということは、うすうす気づいているから、そこにモチベーションは生まれにくい。

ただただ羨望の眼差しを向けているだけで、現実は一向に変わらない。それがまだ無力感で終わるなら自己責任でよいにしても、嫉妬や妬みになると本当にたちが悪い。相手を攻撃してしまうまでに至るかもしれない。

 

そこで、こう考える。

「Sさん、ユーモアたっぷりで話せていいな~」→「ということは、私はユーモアたっぷりで話せるようになりたい、と思っているのか・・・?」

と、意識の矢印を自分に向ける。

「確かにそう!私はもっとユーモアたっぷりに話せるようになりたい!」と思うのであれば、それに向けて何かしらのトレーニングを積んだりして努力していけばいい。

でも、もしかしたら、「ユーモアたっぷりで楽しかったし、確かにいいなっておもったけど、自分がそういう風になりたいか?って考えると、それほどでもないな・・・」となるかもしれない。そうなってしまえば、そこから嫉妬や妬みにつながることもないだろう。そもそも自分はそうなりたくないわけだし。

 

ということで、もし他者に対して、羨望や嫉妬、妬みがでてしまったとしたら、そこから意識をくるっと反転させて、

果たして自分は本当にそうなりたいのか?

と改めて問えば、その羨望や嫉妬、妬みが明確な目標となり、自分の背中を押すきっかけになるかもしれないし、別にそんなのいいやと思って、消化されていくかもしれない。