人間は自由の刑に処されている

哲学の入り口。

名前だけ知っている人がたくさん(笑)

とりあえず一通り読んでいるから、どんな人が何を言ったかまではまだ覚えておらず・・・

そんななかでも、気持ちが引っかかった。

サルトルさん

「人間は自由の刑に処されている」or「人間は自由に呪われている」

どうやらこの言葉で有名らしい。

まぁ勉強されている方からしたら、「知らないのか!」って感じか(笑)

 

この言葉を聞いて、なんとなくツクルスクールのような学校が受け入れられないのが納得。

「すべてが自由」ということは、「すべてを自分で責任を負わなくてはならない」ということが明確になる。

それだけは勘弁してくれ~って感じなのかな。

 

ちらっと読んだだけだから、このサルトルさんがこの言葉にどれくらいのものを託したのかはわからないけれど、

「結果がどうなるかは誰にもわからないのに、自分で選ばなきゃいけないし、その結果に対する責任を負わなければならない。」

こういう身もふたもない世界に放り込まれること自体が「刑」っていうことらしい。

まぁ「自己責任」ってことかな。当たり前といえば当たり前なんだけれど、今まで「王道」と呼べる道をつくり、それが正しい結果につながっていると思い、その上をなぞって歩いてきた日本人にとっては、まさに「自由」は「刑」のようなものなのかもしれない。

 

でも、そろそろ気づきたいところ。

誰かが歩んで成功した道だろうが、多数が歩んでいるだろうと思う道だろうが、そして、親として自分自身が歩んできた道であっても、そうでなかった道であっても、結果がどうなるかなんかは、誰にも分からない。

そして、結局自分の人生の責任は自分で取るしかない。

だとしたら、少なくとも本人が「自分が決めたんだ!」という意識をもつことは大切だと思うし、子どもの決定をどうこういうのではなく、ただただ尊重して、信頼して関わっていくことが大切なんじゃないかな。