義務教育とは?
知っているようで、実は知らない。
学校に行くこと=義務教育だと思っている方多数。
教育基本法によると、
(義務教育)
第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。
このあと学校教育法でまたいろいろあるから、学校に行く、行かないということはとりあえず置いておき、その上位にある教育基本法で考える。
普通教育の目標としてはまったく問題ないと思う。
ただ、時代が変化し、特に考えなければいけないところがあると思う。
「社会」とはどんな「社会」を示しているのか。
明治時代、大正時代、昭和時代、平成と社会は大きく変化している。21世紀に入り、更なる変化が起きている。特に社会の変化のスピードはかなり速い。
少なくとも3倍のスピードで変化していると思う。
例えば、一生同じ会社に勤めることができなくなりつつある社会。
30年は安泰だった会社が10年になってしまうということ。
私の周りでも今の50代以上の方が聞いたら、「そこに入ったら一生安泰だろう。」という会社であっても、働き盛りのときにリストラで辞めざるを得なくなっている現状がある。
これが、子どもたちが大人になるころは、さらに加速する可能性がある。
これは会社でだけではない。スキルもそう。英語が話せることが、果たして10年後に意味があるのかどうか。
子どもたちはそういう社会を生きていくことになる。
そして、そういった変化の速い社会では、「指示があるまで待っていて、言われたことだけする」という力はおそらく役に立ちにくい。
しかし、実際学校では、「とにかく言われたことをしっかりやること」が最優先される。
そして、それに追い立てられる。
そして、気が付けば、ただ言われたことをやるだけの力しかない人間になっている。
果たしてそれで普通教育と言えるのだろうか。
これからの社会で「自立的に生きる基礎」になりうるのだろうか?
確かに昔は大多数がそれでOKだった。
しかし、今はどうかというと、ある子どもにはなり得るし、ある子どもにはなりえないだろう、という不確定要素がかなり多くなった。
なぜなら、変化のスピードが速くなっただけではなく、会社の構造も大きく変わったから。
もう昔のように一本道をみんなで歩いていける時代ではない。
そういう細い細い一本道、しかも不安定な一本道にみんながよってたかるからしんどい。
そして、その道を敷くときに大きな影響をもたらすものは、間違いなく「学校」だと思う。
だから、新たな道を敷ける「学校」がいるのだと思って、今「学校」をやっている。