批判的思考とは
「何を信じ、どう行動すればいいか」を決める手助けとなってくれる。(ロバート・エニス)
ただし、
批判的思考ができることと、「何を信じるべきか」とはかけ離れている。
無批判に物事を考えることや、無反省に行動することをなくすことを手助けしてくれるだけ。
なので、多くの人に受け入られるような解決策を見出す手続きにおいてではなく、根本的に結論が出ない事柄に関して用いられるほうが有効性があるだろう。
例えば、動物や自然に対してどのように接するべきか、人生をどのように終えるべきか、など。
では、その目的は何か。
それは、知ることと信じることが問題になる限りでの役割としては、防衛的なもの。
強力な力を持っている人たちが、それ以外の人たちに無批判的、無反省的に持たせたいと思っている見解や信念から身を守るためのもの。
学校教育とはなにか:(学校、運営者が信じたり、判断している)知るべき正しいことを学ぶ場所
教育とはなにか:何が信じるに値するかを疑問に付しつつ、開かれた態度でいることによって、理性的に考え、判断力を行使することが求められる。
そして、一度「探求」という教育が始まれば、それまでの信念をいったん保留しなければならない。
そして、その都度判断し、修正しながら、新たな信念を再構築するまで探求する。
この判断は、なにか難解な学問によってなされるというよりも、普段のやりとりのなかに常に無意識的にあるものだから、そこに目を向けることで、判断、について学ぶことができる。
感想:
これからの時代に必要なのは、「考える力」ということで、国もいっている。
そこで学校でできることといえば、歴史だったら、その知識を学ぶということではなく、その歴史を通して、歴史的判断力を養うということを念頭において、授業をするということだろうか。
そして、それをまんべんなくやるということは果たして可能だろうか?
それはそれで可能だとは思うけれど、個々の得意分野において、その判断力を育てていく、ということでもいいのかもしれないと思う。
そのほうが伸び率も伸びるスピードもいい気がする。
そして、自立した個が集結して、それぞれの視点から話をする。
だから、私の考えるところだと、「話し合う」という力は必須。
そして、そこにそれぞれの個に対しての尊重があるから、貢献し合えるということにつながるのではないか。
みんなが同じものを持っているはず、という前提だと、優劣の競い合いになってしまう気がする。
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