人間力を高める脳の育て方 鍛え方

すでにだれが薦めていた本か忘れてしまいましたが、フェイスブックの投稿で知り、読んでみました。

アクティブ・ブレインの講師として、脳についてのお話をするので、なるほど~とうなづくことが多く、アクティブ・ブレインの奥深さに改めて感動しました。

内容は、著者の昔話などが所々書いてありましたが、やはり著者の本道である生物学の視点、脳科学の視点に強く魅かれた。

そのなかでもいくつか。

教育の二重構造

第一次教育は人間教育であり、感性教育であり、大脳辺縁系が関わる。

第二次教育は専門・職業教育であり、知性教育であり、大脳新皮質系が関わる。

発達によることも書かれていたけれど、それはちょっと置いておいて。

ということは、人としての人間教育をしたいのであれば、感性を揺り動かし、古い脳である大脳辺縁系に働きかけなければいけないわけで、いくら知識的なことを理論的に伝えても、それだけでは人間としての教育には届かないということになる。

この本では、大脳辺縁系で受け取ったものを「処世訓」 大脳新皮質系で受け取られたもを「処世術」としている。

 

『飽食(ほうしょく)暖衣(だんい) 逸居(いっきょ)して教えざるは即ち 禽獣(きんじゅう)に近し』

孟子の言葉。

いつでも家に食べ物があり、それを好きなときに食べ、寒ければ、子どもが寒がる前に服を着せ、すでに自分でできるようになっていることを誰か、あるいは何かにやらせていたら、けだものになってしまよね・・・

でも、今の子どもはそういう環境にいることも少なからずあるのではないかと思う。

もちろんバランスが大事なのではあるけれど、気を付けたい。

 

「自己抑制型育児法」と「子ども中心型育児法」

子ども中心型育児法と書かれていたけれど、私は大人中心型育児法のような気がする。

育児を子どものためにしているのではなく、大人の欲求を満たすために育児をしているのではないか?と思うことがたまにある。

「子どもに愛情を」という言葉のもとに、実は自己を満足させるために育児をしているような。

溺愛は百害あって一利なしというようなことがかかれていたけれど、その溺愛は子どもではなくて、自分を溺愛しているだけかもしれないな~なんて。

 

主客合一

哲学者 西田幾多郎の言葉だそうです。

ここはまだまだ理解が浅いですが、自然体の状態が人としての充実しているときということかな。

ん?これはフロー体験のこと?

ここでは、デカルトの「我思う、故に我あり」は自意識を出発点としており、それこそが悩みの根源ではないか?と書いてあると今は受け取った。

その自分と周り、すなわち自然や環境と一体化しているときこそが人間の本来の在り方であり、自意識からの脱却をすることが大事。

執着を捨てる、というようなことは、その場と一体化する、ということなのかな、と考えた。

でも、まだまだ思考スタートという感じ。これからこのことについてはいろいろと考えていくと思うので、日々の経験のなかで深めていこう。