国家と社会的手抜き

人はなぜ集団になると怠けるのか

第4章 国家と社会的手抜き

基本的には、この本の最初に提示した4つの要素の度合いによって社会的手抜きが発生するという仮説。

当事者の努力の不要性(やってもやらなくても変わらないんじゃない?)、道具性(報酬や罰につながるかつながらないか)、評価可能性(ばれるかばれないか)、報酬価の認識(それぞれの事柄への認識の違い、花か団子か的な)

1・生活保護と公共心

生活保護が必要ではない人が生活保護を受け続けるという状況に対しても、上記の4つを基本にして考えている。

そのなかで金銭的報酬が動機づけを阻害しているということを裏付けるための実験について書かれていた。

結論としては、自分の労働観に基づいて行った労働の報酬が、それを大きく上回る報酬であったとき、手抜きするようになる、ということ。

分かる気がする。

 

2・国家財政と信頼

ちょっとこれはまだ理解できていないが、福祉に使えるお金があるのに、そこに使わないということが国家的手抜き、という事例なのか。

GDPに占める福祉予算の割合と(国民の)他者に対する信頼度の図が掲載してある。

他者に対する信頼が高いほど、福祉予算が高い、ということを示すための図。

ただし、例外とされる国もいくつかあり、大きく関連しているとはいえないのかな。

 

3・投票行動

これはまだ分かりやすい。

社会的手抜きとしての選挙棄権

4つの影響因を考えると、社会的手抜きをしやすい分野であるとしている。

たしかに。

それでもなお投票するのはなぜか。また、集団が大きさもあまり関係がなさそうなのはなぜか

1・投票することの社会的価値や心理的満足感の効果が大きい

2・現実の1票の効力と主観的効力が必ずしも一致しない、認知的バイアスがかかっている

認知的バイアス1 投票者の錯覚

認知的バイアス2 自己関連付けの推論

 

4・集団意思決定(における社会的手抜き)

集団浅慮

1・集団成員相互の同調圧力

2・自己検閲

3・マインドガードの発生

4・表面上の意見の一致

1~4は集団の雰囲気を優先させ、自分の能力などを封殺した、社会的手抜きを促すもの

 

5・無謬性の幻想

6・道徳性の幻想

7・外集団に対するゆがんだ認識

8・解決方略の拙さ

5~8は社会的手抜きが行われたことによって発生する結果

そしてこれが起こる条件

1・集団凝集性の高さ

2・孤立

3・リーダーシップ

4・問題解決のためのストレス

 

集団浅慮を防ぐためにはそれぞれの条件を緩めることであるが、そのなかでもリーダーの役割の重要性を指摘している。

リーダーがいかに人と対等にいられるか。また、そういう場をつくることができるか。

ただし、やはりできたとしても、なかなか議論がまとまらない、という課題は残る。