自己肯定感を育む接し方

伊勢学園高等学校にて、先生向けに1時間の講座をさせていただきました。

1・子どもが自己肯定感を持てるような接し方、関わり方

対等、相互尊敬、相互信頼

対等・生徒を仲間だと思って接すること。今までの世の中であれば、大人や先生のほうが何かを知っていたりして上下関係になりやすいことが多かったわけだけれど、これからの社会は、だれも知らない社会。だからこそ、対等な関係、お互いが仲間となり、未来を共に考えながら生きていこう!という姿勢になれるよい機会。だから、これは何かができるできないではなくて、「命」として対等ということ。

相互尊敬・・・尊敬とは何でしょうか?尊敬の念をもって生徒たちに接するということはどういうことでしょうか。

ここでペアトークを入れてみました。

そして、数名の方に、「尊敬」とはどういうことかを聞いてみました。

私の方からはいつも伝えている、

相手を唯一無二の存在として接する。

もし、目の前にホンモノの「モナリザ」があったとして、みなさんは、手を加えたり、落書きしたりしようと思いますか?いい加減に扱いますか?

世界に同じものは1枚もないものであるから、そんなことしませんよね。

子どもたちはどうでしょうか。子どもたちだって、世界にたった一人しかいない存在なわけですよね。

だとしたら、やっぱり丁寧に、その子らしさをそのまま受けて止めてサポートするという接し方になるのではないでしょうか。

 

でも、ここで注意しないといけないことがあると思うんです。

それは、先生方自身も、世界に1人しかいない、とても素敵な存在だということをです。

それを感じて、接しないと、なんだか卑屈な接し方になってしまうような気がします。

自分も世界にたった一人の存在。相手も世界にたった一人の存在。対等な関係。

そういう状態で関わってみたら、きっと違うものが見えてくると思います。

 

そして、もう一つ。尊敬は英語でなんといいますか?

Respect

この単語の語源は知っていますか?

Reは、繰り返し、とか、何度も、という意味。これはなんとなくわかりますよね。では、

spectは?

これは「見る」ということです。

ですから、英語の語源からたどると、尊敬するということは、

「繰り返し、見る」

ということになります。これが「尊敬」という意味なんですね。

では、私なりの解釈として、尊敬の念を持った接し方ってどういうこと?と考えると、

「何度も何度も相手のことを見る、見続ける」ということが転じて、

「決めつけない」

ということだと思っています。ですから、

「決めつける」ということは、「尊敬の念に欠く」ということになります。

ついつい私たちは、ある一部分だけを切り取って、子どものことも、自分のことも決めつけてしまうことがあるのではないでしょうか。

 

ということで、

尊敬の念をもって接する

ということは、具体的に言うと、

相手を唯一無二の存在だと思って接する。そのときに、自分も唯一無二の存在だと思って接する。

決めつけない

そういう接し方なんじゃないかなって思っています。

 

つづく・・・