自分の教育観のゆらぎ
そんな感覚を味わってもらいたくて行った「みんなの教育サミットinあいち」
「え、それでいいの?」
「そんなやり方ありなの?」
「そうはいってもね~」
こんなゆらぎをつくりたかった。
特に個々がもっている教育観というのは、ひどく無意識であることが多い。
そして、結構強固だったりする。
でも、その思い込んでいる教育観なんて、ほとんどがその当の本人だけが経験したことに基づくことが多い。
さらに現在の環境がそれに拍車をかける。
途中の先生の発表にもあったが、日本にある小中学校の99%は公立小中学校。
だから、何か起きなければ、自分の周りも教育観が似ていることも多い。
そうのなると、自分一人が思っているだけなのに、自然とみんなもそう思っていると思い込んでしまい、さらに、それが「正しさ・正解」と思い込んでしまう。
これがまずい。
その大人が思い込んでいる「正しさ・正解」がこれからの未来を創り上げていく子どもたちを妨害してしまうことがある。
もちろんなにかが間違いだ!というつもりはない。
ただ、その「正しさ・正解」に対して常に批判的でいてもらいたいと思う。
「本当に高校・大学に行くことが正しいのか?」
「本当に学校に戻ることがその子にとっていいことなのか?」
「果たして様々な教育が選べることがいいことなのか?」
「本当に子どもは宝なのか?」
強く主張する人ほど、その自分の意見に批判的であったほうがいいような気がしている。
教育(子育て)ということに関しては特に、それくらいの「ゆらぎ」を強い主張とともにもったほうがいいように思っている。
きっと悩みながら、自分のなかにある正しさと向き合いながら、どうなんだろうか?と思いながら子育てするくらいがちょうどいいような気がしている。
すぐに答えが出たり、すぐにものが手に入ったり、そんな現状があるなかで、「ゆらいでいる状態」はとても居心地がよくないことかもしれないけれど、ゆれながら、悩みながら、戸惑いながらも試行錯誤して、過ごしていく日々のなかに実は自分の軸というものができあがっていくような気がしている。
だから、「子育て、どうしたらいいんだろう・・・これでいいんだろうか・・・」と感じたら、そのときまさに成長しているんだ、と思っていいのかな、と思う。
そんなちょっとした「ゆらぎ」を感じることができた人が一人でもいたのだとすれば、このイベントをやった甲斐がある。