まずは「知る」ところから

昨日のイベントのなかでた会話で、

「もっとそれぞれが自分の話だけとかするのではなくて、全体につながる話をしたほうがいいんじゃないか?」

その気持ちも分かるんだけど、まずやることがあるよね、と思う。

今回のイベントはそのやること、「知る」

ということに重きをおいたものにしてみた。

 

 

本当になにかをいっしょにやろう!と思うとき気を付けていることがある。

それは、出来る限り、相手のことを「知る」ということ。

どれくらいかというと、

「相手の代わりに、相手のことを他の人にPRできるくらい。」

きっとそれくらいできないと、協力関係をつくりあげることは難しいと思っている。

 

今自分がやっている取り組みでは、学校の先生との関係は本当に大切。

ただ批判するだけでは、協力体制は整わない。

先生が好きなこと、嫌いなこと、大切にしていること、していないこと、ぶち当たる壁、そのときの思いなどなど。

すべてを分かることはできないけれど、できるだけ分かろうと努めている。

そのためにもいろいろな先生のお話は聞くようにしているし、先生たちが学ぶようなことも学んでいる。(もちろん私の仕事に役立つ部分も大きいというのもある。)

 

これはたまたま私の場合は対象が先生だけれど、どんな仕事や人間関係も共通のところだと思う。

相手のことを知らずに、協力はできない。

 

親子関係で考えると、親が子どものことを子どもの目線で、「知ろう」とすることは少ないのかもしれない、と思ったりする

「知ろう」としているかもしれないが、気が付けば、自分のメガネのなかでだけの「知りたい」になってしまっていて、子どもを知ったことにはなっていないことも多い気がしている。

 

「相手の代弁者になれるくらい、相手のことを知る」

相手が代弁者として認めてくれるくらい。それが「知る」ということなのかな、と思う。

 

そして、改めてアドラーのコトバを思い出す。

「相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」

たまに私自身も忘れてしまうことがある。

気を付ける。