動いていないから軸ができない!!

今日は友人の先生が主催するセミナーに参加。

金大竜先生の講座。

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アクティブ・ラーニング時代の教師像: 「さきがけ」と「しんがり」の教育論 (教育単行本)「気になる子」「苦しんでいる子」の育て方: 一人ひとりの凸凹に寄り添う (教育単行本)

午前中は5人の先生が自分の実践を持ちより、参加者と金先生でそれについての意見交換。

私自身は学校で授業を持っているわけではないので、こういう現場で取り組んでいることを知れることはとても勉強になる。

いつか先生たちの役に立てるところもあると思っているということもあるけれど、やはり好奇心が湧くということがこうやって学ぼうとすることのエネルギーだな~

 

午後からは金先生のお話。

教育、学級づくり、授業づくりなどについて。

いろいろと思ったこと、感じたことなど。

 

軸が欲しかったら行動!

心がけの授業でも、「軸」とはどういうものか?という授業をするのだけれど、それとはまた違った視点で捉えることができた。

授業と同じように、「コマ」を例えに使ってのお話。

止まっているときは、「軸」がない状態。

動いているときにしかそこに「軸」は存在しない。

ということで、「軸」がぶれるときは、「自分の行動」について振り返るとヒントが見えてくるかもしれない。

 

愛はイメージ。

これはミスチルの桜井さんもライブでいっていた気がする。

たとえば、毎日黒板に熱いメッセージを描いたとする。

それを見た生徒の中に、それによって疲れてしまう生徒もいる、ということをイメージしているか。

この6週間前後の夏休み、どんなことが起こったか?ということをイメージしようとしてみているか?

そして、たぶんいろいろイメージしてみたものの、自分の持っているイメージなんて限られたものだと気づく。

だから素直に対等な立場で「問う」といういうことができるようになるのかもしれないと思った。

 

教材分析、教材研究の大切さ

教育界はアクティブ・ラーニング一色といっていいほどだけれど、結局それぞれの科目学習の目的地は変わらない。

その単元の習得。だから、手段は変わろうとも、教材分析、教材研究を怠ることはナンセンス。

そして、アクティブ・ラーニングはかなり根本的な話なんだけれど、あえて学習スタイルのひとつだという捉え方をしたのであれば、そういやり方をする場合、課題を提案する先生はかなりの教材分析や教材研究をする必要があると感じた。

生徒にある程度委ねていくなかで、課題をクリアさせていくには、かなりこちら側の勉強が必要。

委ねれば、委ねるだけ、こちらがレベルアップしないといけないと思った。

 

失敗を受容するために

失敗も成長の糧になる、と受容できるようにするためにできることはなにか。

それはどちらが正しいのではなく、世の中には両方あるんだよ、と思えるようなことを伝えること。

あいさつはしたほうがいい、でも、しなくても生きていける。ということを伝える。

勉強はできたほうがいい(それが当たり前だという価値観がはびこっている中学校で)、でも、まぁできなくても生きていける。

特にこれらに対してあまり気が進まない生徒には。

そして、そうやって少しでも視野を広げていくことが大切。

これは最近自分が考えてることとも一致した。

自己肯定感を上げるために、成功体験を積ませるということはちょっと違う気がしていた。

やるべきことは、あぁいろいろあっていいんだって思えるような人と出会わせることであったり、自分のそういった一般的には失敗談ということを話し、「それでも大丈夫だよ」と伝えること。

自分が自主学校をやっているのは、この「こういう道もあるよ」というものを見せて、視野を広げ、受容の器を大きくできればな、というところは大きい。

 

ほかにもいろいろあったけれど、こんな感じでした