問いかける技術を読み終えた。
いろいろと思うところはあったけれど、以下の2つについて。
問いかけの種類
自分の整理のために、問いかけの種類を改めて。
謙虚な問いかけ
こちらがその人を受け入れていること。興味を持っていること、そして現在置かれている状況についてどう思っているのかを知りたいということが相手に伝わるようにしたい。
たとえ一方的な話し方でも、相手に対する純粋な興味からでた言葉であれば、いかなる質問も「謙虚に問いかける」になりうる。
診断的な問いかけ
相手の話のなかに出てきたある特定のことに興味を持ち、そればかりが気になってしまうとき。
気が付けば会話の主導権をにぎることになってしまうとき。
1・感情や反応に関わる質問
2・理由や動機に関わる質問
3・実際の行為に関わる質問
4・体系的な質問
対決的な問いかけ
質問という形を取ながらも、自分の考えを差しはさむ。
相手の役に立ちたいという動機があって、その人とのあいだに信頼関係があり、議論を挑まれたとは思わずサポートされていると感じるなら「謙虚な問いかけ」
1・感情や反応に関わる質問
2・理由や動機に関わる質問
3・実際の行為に関わる質問
4・体系的な質問
プロセス志向の問いかけ
内容よりも、会話の流れ自体に質問を向ける。
1・謙虚にプロセスについて問いかける
2・診断的にプロセスについて問いかける
3・対決的にプロセスについて問いかける
様々な種類に分けられているが、結局はその人のあり方次第といったところ。
途中にも書いたけれど、相手に本当に関心があり、対等な立場(ここでは謙虚とされているが、それは上司やリーダーは特に謙虚になり、相手が対等感を感じられるようにするために謙虚になるということだと考えている)で話をし、本当にサポートしたいという気持ちがあれば、どのような問いかけでも「謙虚な問いかけ」になるということ。
ただ、こうやって分類分けしておくことは、自分の振る舞いを振り返りやすいだろうと思う。
人間関係の構築よりも、課題の遂行に価値を置く文化
本の最後にも書いてあったが、日本は昔の組織はこれを同時にやっていたのかもしれないと思う。
会社の運動会など、まさにそうだと思う。
会社の目的を達成するためには、課題をただ遂行するだけでは不十分で、そこには人と人との個人レベルでのつながり感、信頼感が必要だと考えていたということだと思う。
それが、変にアメリカナイズされてしまって、個人が自らクールさをもって他者との関係を分断し、結果、お互いを信頼できず、いざとなると責任の擦り付け合い、あるいは、退職、という流れになってしまったのかもしれない。
かくいう私も、会社の人にプライベートのことなど話す必要はない、と若い頃は思っていた。
ある意味アメリカナイズされていたということだ。
もちろんそのコミュニケーションの取り方は昔と同じではないかもしれない。
日本人は、ある意味どっぷりそこに浸かってしまい、判断を鈍らせてしまう可能性も低くない。
現代のリストラクチャーされた組織では、そういった感情が返ってマイナスになることもあるかもしれない。
それでも、ある程度の個人的なつながり感というのは必要だということなのだろう。
本にも書いてあったが、これからの社会で生き抜くためには、確かにこの「謙虚に問いかける」ということは大切だと思った。
そして、これは、私が普段学んでいるアドラー心理学にも通じるところがある。
「対等、相互尊敬、相互信頼」
それを大事にするためには、「謙虚」というある意味一段下がるくらいにならないと実現しないということなのだろう。