どのような教育が「よい」教育か。
まだ第3章が途中なので、とりあえずここまで。
かなりざっくりいえば、
「生きたいように生きることができる力を身につけることができる教育がよい教育」ということになる。
ではそのために具体的に何をすればいいのか?ということは後に述べられているのだろうけれど、こういったものが明らかになることで、いくらでも実践はでてくるような気がする。
もちろんここで「生きたいように」というのは個人のわがままではない。
もし自分だけが「生きたいように」生きたとしたら、おそらくそれはいずれ「生きにくい」日々にたどり着くことは避けられないから。
人が人として生きたいように生きていくためには、そこには必ず他者がいる。
だから本質的に生きたいように生きたければ、わがままになることはないし、当初はそうであったとしても、いずれそれは改善していく必要に駆られるだろうということ。
もしそうだとしたらならば、「このように生きたい!」ということを感じられる心を育むことは大切だろう。
そしておそらく、自分の「やりたい」を受け入れられていると感じられれば、きっと他者の「やりたい」も受け入れられるようになっていくのだと思う。
また、大前提として、「自分が決めている」という感覚は欠かせない気がする。
そう考えると、公教育としての選択肢、そして、いつでも学び直しできる社会システムは不可欠のような気がしている。
この本では、そのための力能を3つのカテゴリーに分けて考えているけれど、そのあたりはまた。
今日はこのあたりで・・・