幸せの戦後史
第三部 第三章
村上春樹と対米闘争
村上春樹・・・たぶん一冊も読んでいない(苦笑)
海辺のカフカを読み始めて、途中でストップ。
あぁでもノルウェイの森は・・・映画で観ただけ、かな。
ということで、この章のことはたぶんあまり理解できていないはず・・・
いくつか気になった文を書き出すことだけにします。
”「ポップ」をは、ポピュラーカルチャーにとどまらず、アメリカの欲望システムや消費社会そのものであり、それを普遍的な正しさとして世界中に拡散していくアメリカの戦略でもある。”
”コカ・コーラもマクドナルドもリーバイスも日本の日常そのものだが、実はそれらは、思想なのだ。思想なのだから本来は格闘しなければならないのだが、コカ・コーラと格闘するのは難しい。”
”70年代、日本がアメリカと奇妙な「一体化」を起こしたのは確かである。戦後一貫して、絶対的な先導者、保護者であったアメリカを、日本はようやく相対化し、対象化し、呑み込んだ。それはアメリカ離れのように見えたが、実は離陸ではなく、アメリカの日本化であり、日本がアメリカ以上にアメリカ的な日本になることだった。
”確かに未来の宇宙空間や最終戦争後の地球を舞台にするなら、「アメリカの影」を消してしまえる。アニメ作家たちは、まるでアメリカなど眼中にないかのようなそぶりで、新しい自前の世界(偽史の世界)をつくりした。そこは、アムロ・レイやナウシカのような非日本人が住まう場所が、どこか日本的な感受性を共有する「反世界的」な日本である。この疑似的な日本はーアメリカが関与しないー世界の中心であり、すべての物語は、この擬・日本に関わりながら展開、進行していく。日本こそ、世界の中心であり、先端であり、それゆえに外来の敵の最初の標的であるーこのナルシシズムが、戦後日本に登場した最初の本質的非米文化たる、オタク文化のコアだった。”
”これが村上春樹という作家の戦略であり、真骨頂だったと思う。彼は「鼠三部作」で六十年代の強制終了を実行し、併せて日本が内面化したアメリカも殺害した。換言すれば、六十年代という「第二の戦後」に引導を渡し、アメリカという「第二の日本」を忘れ去ろうとしたのである。”
感想
ほとんど中心に筋がわかっていないので、感想といっても(苦笑)
分かった範囲で。
アメリカは日本だけではなく、消費という限りない日常に近く抗いにくい思想を拡散した。他の国がどうなのかは、私はわからないけど、少なくとも日本はそれを受け入れたんだろうなぁ。ただ、そこにはある意味日本のナルシシズム的な意識があり、日本人特有の勤勉さがそれを混ぜ合わせてアメリカ文化を消化し、そして、呑み込んだ、という感じかな。
確かに日本人の「幸せ」を考えるうえで、アメリカの影響は避けては通れない。で、今現在2016年に置いて、果たしてそれを意識しているのかというと、まだまだしているだろうと思う。英語を話せると、すごいね~っていう文化がそれかな。
この章はほとんど意味がわかってないような気がするけど、次が終章。
いままでの流れをどのように収束していくのかな。
今回でてきた本をいくつかピックアップ