今もひきずっている?戦後30年の社会意識

「幸せ」の戦後史

第二部 家族の変容と個の漂流

第一章 戦後の家族と戦略

戦後の「社会意識」

豊かな暮らしを追及する権利は誰にもある

その実現のために、家族は階層上昇という戦略を選んだ。

この時代は不平等、不公平に敏感。

職員と工員という名称は社員に統一などが象徴的。

戦後の貧しい時代は、ほんの少しの環境などの差で生死が分かれる。これが不公平に対する敏感さにつながる。

もともと不平等、不公平は存在していたが、戦争によりそれがいったんゼロリセットされた感覚があったのでは?

 

1950年代に朝鮮特需もあり復興

しかし、それにより格差は大きくなった。

1956年の統計だと、生活保護基準以下すれすれの人数は972万人。残りの約8000万人の生活水準が上がった。

その上昇志向のなかで、家電製品などの普及という目に見える格差がさらにその格差に拍車をかけた。

そのなかで、機会の平等、公平をどこで感じていたか。

ブルーカラーからホワイトカラーへの階層移動。

それに向けて、教育投資が盛んに。それまでも学歴社会ではあったけれど、一般的に

学歴=財となったのはこのころ。ちなみに私の父母はこの時期に生まれている。

 

1960年 所得倍増計画

そして、その実現。ビートルズ結成。

この時代が一番階層移動が大きかったとされている。

しかし、この時期にこの階層の上昇思考に対抗する眼差しを持つ映画作品が取られている。

ほぼこの実質的経済的成功により、ないものとされた「今の階層のままのなかで見つける幸せ」

そこに目を向けた映画。ここでは「キューポラのある街」が取り上げられている。

本当はなにが豊かなのか?という投げかけなのだろう。

このあたりで、経済格差は短期的に縮小されたものの、それは財の配分比が変わっただけで、文化資本のような長期的な財の格差は温存、むしろ階層間の障壁はより高くなったのではないか?

そして、1960年代後半は、上昇基調にあった階層移動が頭打ちになった時期。

しかし1964年には東京オリンピックもあり、その勢いのままブルーカラーはホワイトカラーの人工的で統合的なルールとマナーに置き換えられていった。

地域や階層は自然に解体され、仕事と暮らしに競争が浸透。

 

 

1969年 「男はつらいよ」上映開始 

大学闘争、ベトナム戦争、アポロ11号月面着陸。 父母 中高生

こんな社会のなか、果たして上昇思考が幸せなのか?と問いかけるには、そこから「降りる」必要があった。

その典型がフーテンの寅さん。

また、それとはかけ離れているようにみえる「赤頭巾ちゃんに気をつけて」がベストセラー

この本は空疎なメッセージだと、この幸せの戦後史の著者は感じている。

それでも売れた理由。そこにリアリティがあったから。

1・アッパーミドルの魅力的な描写。本当にそういう街があるのではないかと思わせられた。

2・独特な虚構性ゆえの現実感。ありそうでなさそうな、でもあると信じたいような事柄を、客観的に、でもやっぱりこれは嘘じゃないかと思う、と問いかける。そのことにより、現実感がぐっとでる。

そして、加熱する教育投資により、大学生が巷にあふれるようになり、その意味を失ってきた。

それにより教育投資による階層上昇の期待も裏切られ始めた。

しかし、大学生がそれに声を上げるには、結局もとの不平等、不公平をつくりだすことに戻らなくてはならず、そのどうしようもない力を、自己否定というところに向けた。

1972年にはあさま山荘事件があった。

そして、1980年くらいまでじりじりと続き、80年にあらたなカタチで発露することになる。

これが次回。

 

感想

国民全体が階層上昇という意識にほぼ一体となって動いていった時代なのかな?

なんとなく違和感もあったが、その勢いには勝てなかっただろうなぁと思う。

テレビ・冷蔵庫・洗濯機ときて、カラーテレビ・車・クーラーとパワフルな実体としての違いが豊かさという言葉ととってかわられても仕方がないかなと思う。

自分の父母がこの時代を生きてきたのかと思うと、なんだか不思議な気分になった。

そして、今もそれがそのまま受け継がれているような気もする。

それがどのように今に引き継がれてきたのか。

次の章が楽しみ。