みんなの学校
映画の感想
どこか懐かしさの感じる映画だった。
いろんな生徒がいて、いろんなパワーがあって、先生が生徒と対等に向き合っていて、そんなことが普通にあったような気がする。
実際は違ったかもしれないが、そういう雰囲気があったような気がする。
みんなが成長中で、みんなが学びの真っ最中。
それは、見える学ぶ力、見えない学ぶ力。その両方において。
目に見える結果を求め過ぎている結果、今のような状態になっているのかな。
木村泰子さんのお話を聴いて憶えていること、感じたこと。
「対等の関係の中でしか、本当の学ぶ力はつかない。」
これは人と人が本気でぶつかってということだとも思うし、お互いがお互いのことを思いやるということだとも思う。
お互いが学ぶ人として対等。お互いに学び合っている。
たとえそれが先生だったとしても、生徒からその教師としての在り方を学ばさせてもらっている。
そういう気持ちが大切なのだと思う。
「学校にとっての学校になってしまっていないか? 子どものための学校ですよね。」
学校のため、と言われたか、先生のため、と言われたか定かではありませんが、同じことだと思います。
子どもたちをサポートするためにはなにができるのか?
それを真剣に考えることが教師なのでは?
それをいろいろあってできないというのであれば、教師をやめたほうがいい。
私もそう思う。
「親の接し方くらいで、子どもの人格が制限されることはない。」
言葉はだいぶ違ったような気がするけれど、今回一番頷いたところ。
確かに親の影響はある程度はあると思う。
でも、それで決まってしまうのであれば、そんなに悲しいことはないと思う。
だって、ずっとその連鎖が断ち切れないわけだから。
たとえ親の接し方がよくなかったとしても、それを支えて、子どもの力を育むところが学校なのだと思う。
もし子どもの育ちを親のせいにするのであれば、それこそそんな学校はやめてしまえばいいと思う。
それに、子どもたちはきちんとした人格を生まれたときから持っているし、今まで訪れた困難もこれから訪れる困難も乗り越えていける力は十分に持っていると私は信じている。
この映画を観たり、木村さんのお話を聞いた人がすることは、大空小学校と同じような小学校を増やそうとすることではないと思う。
大空小学校で大切にしていたことを自分で咀嚼して、自分の学校で、自分の地域でなにができるのか。
そして、それをちょっとしたことでもよいから行動に移していくことだと思う。
瀬戸市で上映、講演できるように準備を進めている仲間がいる。
今後もいろいろなところで上映がされる。
本も発売されている。
http://minna-movie.com/jyouei.php#schedule