「反応しない練習」
マインドフルネスに関係する本を探していたら、amazonさんが薦めてくれた本。
仏教思想に基づいている。
かなりおもしろかった。
アドラー心理学にしても、アクティブ・ブレインにしても、そのほかなんでもそうだけれど、やっぱりつながっている。
でも、実はこういう判断もただの妄想(笑)
まさに、前回の人工知能のセミナーでの、「知らんけどな!」
なぜこういう結論になるかを解説。
人間の悩んでしまう理由のひとつが「判断しすぎる心」
ここでは、判断を「決めつけ」や「思い込み」としている。
おぉ~~心がけの授業でもこれやった!!と自らの授業を自画自賛(笑)
で、なんで「判断しすぎる心」を持ってしまうかという理由が2つ
1・判断すること自体が「気持ちよい」
2・判断することで認められた気分になれる
ということで、「判断する心」には、分かった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える(承認欲を満たせる)快楽がある。
いや~確かに!!
「あ~~知っている~~」という知ったかぶり(笑)
「今やっていることってさ、10年後には意味ないよね。」「そうだよね~」と言われるとうれしい。
でも結局自分の持っている判断はすべて頭の中だけのもの。
「妄想」
に過ぎない。
そして、その現実にありもしない「妄想」に囚われている状態が、「判断に執着している」状態
「妄想=現実にないもの」を「ある」と思っている。ということは、執着している判断は
ただの「勘違い」
「判断」=「妄想」=「勘違い」だから、結局自分の判断については、「知らんけどな」ということしかいえない(笑)
また「判断」には、自分を肯定しすぎる思いもあるとのこと。
それを「慢」をよぶ
「慢」=「自分の価値にこだわる心」
結局みんなどこかで自分のことを正しいと思っている。
では、どうやってその「判断」を判断するか。
それは、役に立っているかいないか、という視点。
お~~これはアドラー心理学でいうところの「建設的、非建設的」というところだ!
それ以外の判断については、
役に立っていたり、立っていなかったりすれば、実質的な意味はそこないから、ただの「妄想」
だから、正しいとか間違っているという視点での判断はただの妄想であり、ただの快楽を感じるための暇つぶし
そして、
「自分が正しいと判断してしまった時点で、その判断は間違ったものになってしまう。」
だから、
「正しいと判断しない」理解が目指す理解
であり、
そんな妄想の正しさよりも、有益であるほうを大事に考えよう、ということ。
うーん、そのほかにもたくさん自分の実践がつながっているところがあって楽しかった!
今後の自分の講座にもとてもusefulな内容だった!!