引き続きインクルーシブ教育について。その1
いや、ここは、インクルーシブ発想、ということにする。
これはこの本のシリーズタイトルで、青山先生が大切にしているところだし、私もそのほうがしっくりくる。
インクルーシブ発想とは、「つながっていくこと」と「ひろがっていくこと」だと思った。
インクルーシブという言葉だけだと、どうしても「内包する」というような語感や意味がある。
しかし、それだと、内側と外側が存在することになってしまう。
そういう発想をした時点で、インクルーシブではなくなる。
だから「つながっていくこと」「ひろがっていくこと」という発想が大切だと思った。
また、その「つながり方」も「太くしっかりと」という感じにはならなくていいと思う。
そこにはお互いがお互いを感じ合えるくらいの距離「すきま」が必要だと思う。
これは個人単位でもそうだし、団体単位でも同様だと思う。
あまりにも強固に、あるいは密接につながってしまうと、お互いが身動き取れなくなってしまうし、連鎖が起きてしまう。
よい連鎖であればいいけれど、それが悪い連鎖だと質が悪い。
また「すきま」があることで、変に分かった風にならずに、逆にお互いのことを思いやるような気がする。
中心となるものがあり、そこから細い腕が伸びていて、キャッチする手が伸びていて、その先にほどよい「すきま」があって、お隣の手がある、といった感じ。
それは人間の作りそのものだと思うし、脳のつくりもそうやってできているような気がする。
こんな感じ?(笑)
「つながっていくこと」だけではなく、「ひろがっていくこと」という発想を持つことで、当事者だけではどうしようもなかったことを乗り切れるエネルギーが生まれると思う。
まだまだ考える余地はたくさんあるが、「つながっていくこと」「ひろがっていくこと」という要素が欠かせないと思った。