大学生の相談を受けるときに、「何がしたいかわからない」という答えに出会うことが何度かありました。
アドラー的にいえば、わからないという状態でいることで、チャレンジをしない、あるいは、失敗をしないこと、今のままでいることを達成しているともいえますが、ひとつの考え方として、自分の気持ちを味わう余裕がなかったため、自分の気持ちが分からないという状態でもあるのかな、と。
瀬戸ツクルスクールでは、カリキュラムもありませんし、基本的にこちらから働きかけることはしません。
それは自分の感情を味わってほしいから。
退屈な時間を味合わないと何が退屈かわからない。
現代はスマホも携帯ゲームもあり、待ち時間やちょっとした時間にぼーっとしたり、退屈だなぁ~と思う機会も減ったように思います。
退屈がないに越したことはないですが、感受性を育むに当たって、ある程度のマイナスの感情も経験しておくことはダイジなような気がします。
退屈な時間があるからこそ、楽しい時間がより輝くというか。
また楽しいことに夢中になって、その状態がどういうものなのかということを存分に味わってもらいたい。
だからカリキュラムはなく、思う存分に自分のやりたいことをやれる状況にしています。
そして、何も与えません。
なぜかというと、何かを与えられると与えられたものに対しての面白い、面白くないという自己以外の対する評価になりやすいように思うからです。
なにも与えなければ、自分が行動したことに対して、自分自身がどう感じるのかということにつながりやすい。
結局つまらなくしているのは自分だし、楽しくするのも自分。
そんな感覚を持ってもらえたらいいな、と。
こうやっていろいろな感情をゆったりと味わってもらい、それにより人間のエネルギーの源である感情を生み出す感受性を育んでもらいたいと思っています。
そのためのヒマであり、カリキュラムなしです。