イメージする力の貧困化

イメージすることの貧困さ

ブログの下書きに書いてあった・・・

なんでこんなことを思ったのかな(苦笑)

堀先生が「教師」という仕事がふた昔前とくらべて、ずいぶん大変な仕事になってしまった、というような記事を読んだときかな。

 

ふた昔前と何が違うのかな~とか思ったときに、単純に、「インターネット」の登場ということになるよな~

やっぱりインターネットがあると、知りたいことを文字情報として知ることができるし、好きな時に好きなものをすぐに観れてしまう。

以前は遠く離れた友人の噂話だったものが、目の前に画像とともに現れる。これはSNSは特に。

視覚からの情報といえば、「字幕」(テロップ)もそうだよな~

 

とにかくたくさんの視覚情報(イメージ)が押し寄せてくる。

イメージは基本的に聴覚の情報よりも分かりやすいし、記憶しやすい場合が多い。

その結果、その押し寄せるイメージに取りつかれてしまい、自らイメージを創造するということが少なくなる。

「考える」ということのひとつの要素である「イメージする」ということが少なくなるということになるか。

結果、自らイメージする力が貧困になっていく・・・という感じかな。

 

楽は楽だから、そちらに流されるのも分かる。「楽=幸せ」という価値観があるしね。

 

そして、自分で吟味することなく、その記憶させられたイメージをあたかも自分で考えたかのようになる。あるいは過度に一般化する。

そういった分かりやすさをモットーとした可視化された情報に思考をゆだねてしまって、その事柄やそこにいる人の気持ちなどをイメージすることなく、批判をしたり、賞賛したり、比較したりする。

そうやって確固たる自分の考えや一般論(と本人が思っているだけだと思うけど)があると思っているから、なんでもかんでも批判するモンスターがでてくるのかもしれない。