7冊目 インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?
2年前、お時間を作っていただいて、お話をさせていただいた青山先生。
長野に風越学園という学校を作っている岩瀬先生の共著
インクルーシブ教育ということになっているが、これは未来の学校教育のカタチにつながる内容だと強く感じた。
青山先生は、この本のシリーズタイトルにあるように
「インクルーシブ発想」ということを大事にされている。
ここには、形だけ整えるような「インクルーシブ」にはなってほしくないというような気持ちがあるように思える。
「インクルーシブ発想」で考え、試行錯誤し、その結果、インクルーシブ教育のカタチにつながる。
思考から形が生まれるのだと私は思う。(形をやっているうちに中身が身につくということもあるが、そこには徹底した形の実践が必要だと思うし、そこにもやはり基本的な考え方というのはないとできないと思う。)
この本は3章
1章は「インクルーシブ発想とは」
2章は「インクルーシブ教育をどう実践すればいいのか?」
3章は「インクルーシブ教育の実践って?」
1章で特に考えたのは、以下の点
・「集団の中の個」
・エピソードという視点
・「集団の中の個」
これに関しては、青山先生の他の本でも同様の発想を基に提案されている。
「個」への対応も必要だが、「集団の中の個」としてみたときの対応も必要だということ。
具体的な提案がされているのがこちら。興味がある方はぜひ。
子どもを「個」という視点からみるのはこんな感じ。
先生であれば、
「あの子はこんなところがあるよね。あんなところもあるよね。」
保護者であれば、
「うちの子はこんなところがあってね。あんなところもあるのよ。」
これが「個」を見ているという状況。
集団の中の個というのは、
「~ちゃん、〇〇ちゃんといっしょにいるときは元気だよね。」
「うちの子は、私といるとすごく無口なんです。」
というのが、集団の中の個(関係性の中での個)ということになる。
詳しくは本を読んでください。
私が今までいろいろ学んで、見たり、聞いたりしてきて、どちらが好きかというと、後者になる。
なぜかというと「個」ばかり見ていると、そこに関わっている「自分」に対しての意識が薄れるから。
そうすると、自分はOKで相手はOKではないというところにつながりやすくなってしまうから。
で、そうなると、いかに「相手」を変えようか、という視点になりやすい。自分のことは棚に上げてしまう。
そういった点が私は好きではないところ。
「あなた当事者ですから~~!!」w
その子と全く関係のない研究者であれば「個」だけに注目してもいいのかもしれないけれど、
そうでなければ、相手ばかりに気を取られてしまうのは、いろいろと不十分。
相手の「個性」というものもあるだろうから、無視しろというわけではないけれど、相手の思うことと同様に、自分の行動にも目を向けるようにバランスがとれていることが大事だと思う。
・エピソードという視点
ある子どもの課題について考えるとき、エピソードで考えるということ。
そうすることで、そこに関わるいろいろな人(関係性)が見えてくるから。
これは私が今進めているポジティブディシプリンでも同様。
基本的には解決したい課題があった場合は、その場面のロールプレイをしてもらう。
そうすると、ただ話しているだけのことよりも、たくさんの情報がもたらされる。
子どもと母親のやり取りをいろいろ話を聞いてみるのだけれど、いざロープレをやろうとしたら、
「え!!!お父さんもそこにいたの!」
ということがよくあったりwww
ただ事例の話だけを聞いていては、手に入れられない情報がロープレにある。
そして、それと同様のことがエピソードにもあるのだと思う。
そして、エピソード(ロープレ)をすると、そこにある関係性に目を向ける機会ができるのではないかと思う。
特にこの2つの点についていろいろと考えた。
また、この「インクルーシブ発想」というのは福祉的視点もあり、教育的視点もある。まさに1冊目によんだ「教育福祉論」というところにつながっていくものだとも思った。
次回は2章。