ここ最近、「自己決定感」がもたらすパワーをまざまざと感じる場面に遭遇している。
瀬戸ツクルスクールをつくったときから、ずっとそう思っているわけだけれど、すごく顕著にそれが現れている。
傍から見たら、「え、それで元気になるわけ?」というようなことしかしていないかもしれない。
しかし、そこに「自己決定感」があることで、その子が取っている行動の見た目は何でもよい。
よくよく考えれば、実は子どもが「自己決定感」を感じられる機会を大人がたくさん奪っている。
奪ってしまう背景には様々な要因がある。
・子どもの決めたことは、うまくいかないことが多い。
確かに、そうかもしれないが、だからどうだというのだ。
そもそも、その「うまくいく」は大人目線の「うまくいく」ということであり、子どもにとっての「うまくいく」とは違う。
そんな大人目線の「うまくいく」よりも、自己決定感を感じられる方がよっぽど大切ではないのか。
大人の満足のために、子どもの成長の機会を奪わないでほしいと思う。
・子どもにの選択して決める力は不十分である。
自主学校瀬戸ツクルスクールをやっていると、「そんな小さいうちから子どもに選ばせていいんでしょうか。」という質問がでるときがある。
いやいや、ちゃんといろいろ自分で決めているでしょう、と思う。
好きなおもちゃや食べ物
着たい服、履きたい靴。
好きな音、嫌いな音。
どんな小さな子だって、自分で決める力は持っている。
もし今持っていないのだとしたら、それは大人が奪ってしまったからなのかもしれない。
もちろん「自己決定」には「責任」がいっしょについてくる。
いろいろと大変なこともあるだろう。
でもそうやって「責任」を感じて、目の前のことに向き合っていくことが大切なのだと思う。
いかに子どもが「自己決定感」を感じているか。
これからもそこに注意しながら、いろいろなことに取り組んでいこう。