学校教育に携わっている人であれば、知っているであろう
「アクティブ・ラーニング」
詳細はこちら→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364316.htm
言いたいことはわかるんだけど、何人かの先生がおっしゃっていたけれど、私もこれは「エリート」に重点を置いていると思う。
今までのエリート層の質を変えたい、というところだと思う。
そもそもここに対する本腰の入れ方が最初からひっかかる。
「大学入試が変わるのだから、今回は本当の変化になるだろう」論調。
っていうことなにかい、約半数くらいといわれる大学に入る子どもだけのことしか考えていないってことだよね、と。
そういうエリート層(大学行ったからエリート層というのはまた違うと思うが)が優秀になって、ガンガン活躍して、国が富んでいけば、半数以下の人たちはそのおこぼれもらえるでしょ的な発想なんだろうね、きっと。
むかつくわ(笑)
で、いわゆるエリート層というのは、だいたい東京とか大企業とか、あるいは、海外に行ってしまう流れがあるわけで。
もう地方のことはどうでもいい、くらいの施策に思えてならない。
確かにそういう人材は国を運営していく上で必要だとは思うけれど、結局地方を衰退させていってしまうように感じてる。
さらに、いろいろな意味で学校教育が揺らぐ期間が続くような気がしている。
アクティブ・ラーニングには大きな可能性があるとは思う。エリート教育という枠を超えて。
しかし、それを本当に理解して、授業にできる先生はどれくらいいるのだろうか、とも思う。
自分でもちょっと意識して授業を考えてみたけれど、中途半端な知識や技術では、到底できないと感じた。
さらに、スタートして、十年くらいは、職場のほとんどの先生が生徒時代に「アクティブ・ラーニング」を経験したことがない先生がほとんどという状況になる。
せめて、3,4年学び直す機会が与えらればいいけれど、おそらくそれもなかなか難しいだろう。
社会経験もない大学新卒が、経験もないのにすぐ先生になれるのは、学生時代、言い換えれば16年の学校経験があるからというところは大きい。(高卒や大卒の野球選手がすぐにプロ野球で活躍できる原理)
それがないのだから、かなりいろいろな意味で揺らぐような気がしている。
でもそこに通う子どもたちは、「そのとき」しか通えないわけで。すべてが充実するころには、学校教育が終わってしまっている。
ちょっと想像しただけでもぞっとする。
さらに、未だかつて経験したことのないような人口減少が待っているわけだから、おこぼれを待っている余裕などないというところもある。
そんなこんなで、地方は地方で、自分たちの地域を守り、育てるためにどんな教育をしていったらいいかを真剣に考えなければいけないと思う。
そして、地域でいろいろ考えて、国が見向きもしなかった人材が、輝きを放って地域を支えていくようになる教育をつくっていく。・・・ワクワクしてしまう(笑)
すべてを一気に変えることはできないかもしれないけど、できることをやっていこうと思う。