大学生との話。
事前に4つのトピック提案をいただいた。
・中高生の進路選択の現状
・学習塾だからできること
・塾から見た学校進路指導の課題
・教師に期待すること
最初に自己紹介。
名前となぜ教師をなりたいのかorなんのために教師になるのかorなぜこの大学に入ったのか。
急なふりにも関わらず、みんながんばって話してくれました。
Kくん、Oくん、Tさん、Mさん、Sさん、Mくん、Aさん、Fくん、Yくん、Sくん
お~覚えてる、オレwww
トーキングスティックも使ったので、その効用についても話しました。
・中高生の進路選択の現状
とはいっても、私よりも、大学生のほうが、経験としては最近だよな~と思い、最初にみんなはどうやって進路を決めたの?
と聞いたところ・・・・・
ほとんどがすでに「教師になる」という目標を持っていたという驚愕の実態www
もちろん塾にもはっきりと目標を持っていた生徒もいるけれど、ほとんどが、「なんとなく」「入れるところで」という雰囲気なので、これにはびっくり。
進路指導いらないねってw
ということで、みなさんはとても「稀」な存在だと思うよ、と話しました。
おそらく大半の中学生は、多少の差はあれど、「みんなが行くから行く」程度。
目標を持てと言われてもね~という感じ。
そこに、自分があったからといって「なんで目標を持てないんだ?もたないんだ?」と言っても伝わらない可能性があるよね、と。
もちろんキャリアを学んでいる学生たちなので、ある程度理解はしているとは思ったけど、現場にいっても忘れないようにしてね、と。
あと、ここのパートで話したかどうか覚えていないんだけれど、当たり前なんだけど、成長には一人一人違いがあって、中3だとしても、中1のような子もいるわけで。そういう場合の進路指導は、また違った意味合いを持つ進路指導になるよね~
・学習塾だからこそできること
これも実際にほとんどの学生が塾に通っていた経験を持っていたので、それぞれがどう思うかということを聞きました。
ちょっとそれぞれの答えは忘れたけれど、まぁそれほど私が思っていることとは変わらなかったかな。
進学塾と個別指導塾でもまた違うけれど、特に進学塾ならではのことは、
切磋琢磨の雰囲気づくりが可能であること。
成績別にクラス分けされているだけあって、同じ目標に向かって取り組む雰囲気は、学校と比べて作りやすい。でもこれは学校と比べても仕方がない。そもそもその考え方も仕組みも違うから。
「成績を伸ばせる」
どうなんだろうか。学校に行っているだけで、急激に成績が伸びることというのはありえるのだろうか。
きっとあるんだろうけれど、おそらく確率的には塾のほうが高いかな。ただ、高いかなという程度で、必ず伸ばせるというわけではない。でもこのあたりも学級づくりやICTを活用していけば、学校でもいずれ十分に可能になる気がする。
あとは、
「学校とはちがった評価軸を持たせることができる」
どうしても学校の通知表は先生による。そうすると評価軸が一つになってしまい、それが妥当であればいいけれど、そうでない場合もある。妥当でない場合は、とても残念なことになってしまう。
ここで、「偏差値はいると思いますか?」と聞いた。
たしか、ほぼ全員が挙手したと思う。
私も現状であれば、あったほうがいいと思う。それは、進路指導が云々というよりも、自分が生きていくときに、様々な評価軸を知っておくことは大切だと思うから。
まぁ進路指導もしやすいといえば、しやすいからいいんですけどね。
結局どんなものだって、「どのように取り扱うか?」ということが大事。
と、プラス面からみたものを書いたけれど、結局どれもマイナス面と表裏一体
クラスづくりのプロではない塾の先生は、もしクラスが荒れたら、どうしよいうもないだろうし、ひたすら成績がアップすればいい、という雰囲気になってしまうこともあるだろうし、学校とは違った評価軸で混乱してしまう生徒もいるだろう。
特に教育においては、これは絶対にデメリットはない、というものはないと思ってやったほうがいい。
逆も然り。デメリットだと思っていることは、メリットにもなりえる。
・塾から見た学校進路指導の課題
もうここはいくらでもでてくるわwww
とりあえず
進路指導を生活指導、学習指導に使わないでほしい、ということ。
端的に言えば、「態度が悪いと、通知表が下がるよ」ってやつ。
「授業中に手を挙げると、Aがもらえて、通知表があがる」ってやつ。
もちろん学習態度の評価と使うのは当然(私は嫌いだが)
でも、それと進路を暗黙の了解のようにつなげてしまう雰囲気がある。
そして、それをまた利用しようとする生徒や保護者がいる。
英検や漢検で級を持っていると、受験に有利、という話も同類。
大人自らが「学習」というものの価値を貶めてしまっている。
学習が崇高なものだといういうつもりはないけれど、せめて、貶めるような関わりはやめてほしいな、と思う。
ほかにも通知表の付け方とかもいろいろ思うところがあったので、話しておいた。
・教師に期待すること
自分がある一定の価値観を持っているということに自覚を持つこと。
その価値観が悪いといっているわけではなくて、あくまでそれは自分のフィルターを通してのものだということを自覚しておいてもらいたいということ。
基本的には高校に行くのは極めて自然のことだと受け取っている先生たちが多いでしょう。
高校に行けるだけの力があって、その子が専修学校にいきたいといったときにふと零れ落ちる
「もったいないね~」
というようなもの。これは高校に行くことがいいことだ、という前提がどこかにあるからでてしまう言葉。
何度も書くけれど、それが悪いというわけではない。自分がその道を通ってきたのだからなおさらだ。
だからこそ気を付けてほしい。
ここで、こんな投げかけ
「高校にいく場合のデメリットはなんですか?」
でてくるかな~?と思いましたが、そこはキャリアについて学習している学生たちだけあって、いろいろと出てきていました。
なにが思いつくかというよりも、そういうことを考えられる、ということが大事だと思っています。
時間がなかったので、聴けませんでしたが、
「中卒のメリットは?」というのも聞きたかったな。
学生から、「たとえば自分が経験が浅いなか、進路指導したとして、そこに対する責任が・・・」というような話がでた。
せっかくなので、みんなが考える責任ってなに?と問いかけてみた。
いろいろな意見がでてきたけれど、ざっくりいえば、あまりいいイメージはないようだ。
そして、自分自身のことに関することだ、という視点が多かった。
1人か2人は、他者への影響のことに言及していたけれど。
もちろんみんなそこは感じているとは思うけれど、無自覚的な感じだった気がする。
これに答えはないけれど、私なりの「責任」はこういうことだよ、って話した。
責任って他者とのつながりだと思うんだよね。
他者のことをどれくらいイメージすることができるか。
相手のことに関心を持ち、どれだけ想像できるか。
そして、それって、相手を思う気持ちがないとできないよね。
まぁ愛だね、愛。
それが私は責任だと思っている。
そんな根本的なことがあっての、派生的な意味がいろいろあると思うんだよね。
そう考えると、社会のことを知らない先生だって、経験が浅い先生だって、その先生なりの責任というものがあると思うんだよね。
その先生なりに、相手のことを思って、ちゃんとイメージして、接していけば、それでいいんだと思う。
それってそんなにマイナスのことなんだろうか。
ここは自由とのつながりも話さないと、いろいろとつながらないんだけれど、時間がないのでこの辺で。
もう一度「責任」ってなんなのか?ということを自分なりに考えてみてね。
質疑応答
パスもなく、全員が質問を言ってくれました。
ぜひパスを使ってほしかったwww
これは、全部は思い出せないな。ごめんなさい。思い出せるものだけ。
・どうしたら稼げますか?→自分の当たり前だと思っていることを伸ばす。あとは行動。まじめにコツコツ。
・なぜ塾を選んだんですか?→在庫がいらないからwww やっぱり塾が好きだったんだと思う。
・どうしたらうまく話せますか?→相手の名前を憶える。相手の話していることをイメージしながら聞く。3分に1回は笑いを取る
・今の学校システムではできないことも多々あるのでは?→あります。だから学校つくってます。
・理想の教師はどんな教師ですか?→その人にしかなれない教師。
ということで終了。
他にも、夢や目標を持てない生徒には、どう接したらいいかとかも話したな。
終わったあとも、ランチしながら、4名の学生とお話することができました。
自分のキャリア選択のことなども話しました。
こんなステキなご縁をいただけたのも、本当に人とつながりとFacebookのおかげwww
感謝しかない。柴田さん、そして、今回お招きいただいた高綱さん、ありがとうございました。