失敗を素晴らしい学びの機会に変えるには?

Positive Discipline for Teenagers, Revised 3rd Edition: Empowering Your Teens and Yourself Through Kind and Firm Parenting

こつこつ訳しています。今回から第4章です。(全14章) どの章かからでも、興味のある所から読み始めても大丈夫な作りになっているとのことです。

第4章 失敗を素晴らしい学びの機会に変えるには?

失敗は素敵なこと

いったいいつから失敗はこんなにも悪名高いものになってしまったのでしょうか。

 

失敗は成長と学びの中で当たり前に起こる出来事です。

 

いつから失敗を気にしすぎるようになるのでしょうか。

 

いったいいつから失敗は学びのプロセスの一部分だと理解するよりも、力がないということを意味することになったのでしょうか。

 

失敗に対する感覚は、大半が大人から受けるメッセージによって形作られるといってもよいでしょう。

 

 

時々、失敗をあからさまにネガティブなものだとしたメッセージを伝えることがあります。

 

“悪い子ね。

花瓶にさわっちゃいけないでしょ。

幼稚園でおしゃべりばっかりしてはだめでしょう。”

 

 

おそらくみなさんは、失敗してしまうようなことについて、たくさんの注意をしているということに心当たりがあるのではないでしょうか。

 

実際は、花瓶を触ることは“悪い”ということではありません。

 

むしろ、やってみようという気持ちがまったく湧かなかったら、子どもではないといってもいいくらいです。

 

幼稚園で、おしゃべりがすぎる子どもに“レッドカード”を渡すところがあるとわかったときは、ぎょっとしたものです。

 

社交性という点でもアカデミックな点ということにおいても、その学びに興奮したときに人に話したくなることは、発達的にごく普通のことなのです。

 

 

時々そういったネガティブなメッセージは気づかないときもあります。

 

あなたが子どもを学校まで送っていき、送り出すときに、“気を付けてね。”とか“いい子でいるのよ。”ということが、自信を持ち始めた心や学びの喜びを感じ始めた心にどれくらいダメージを与えているでしょうか。

 

これらの言葉は、失敗というものがよくないことだというメッセージをほのめかしてしまっています。

 

あなたが次のように伝えたときに、そこから伝わるメッセージの違いを想像してみてください。

 

“今日も一日たくさん冒険してきてね!そして、失敗から何を学んだかをあとで教えてね。”

 

こういった言葉は、生活の中でいつもそこにあるたくさんの失敗から、自尊心を奪うことなく、学びと成長の自由の雰囲気を作り出しま

す。