この本は、こちらの本で、堀先生お勧めの本。
「技術というものは百発百中でなければならない。」
野口先生が書道の先生から言われた言葉だそうだ。
この言葉を聞いて、ぱっと思い浮かぶのは、工場のねじ職人のような方々。
友人が何ミクロン単位での仕事の精度が必要な現場で働いている。
最初はなかなかうまくいかなくて、失敗ばかりだったらしいが、今ではだいぶできるようになったらしい。
そんな現場で百発百中でできる人。
それが技術を持っている人。
それを職人というのだろうな。
ふと自分を振り返る。
自分は百発百中のものを持っているだろうか・・・
今の自分の仕事での百発百中とは、何を目標にしたらいいのだろうか。
カウンセリングなら、百発百中でカウンセリングを受けた人が回復する。
コーチングなら、百発百中で目標を達成する。
成績アップを目標とする塾なら、百発百中で成績があがる。
しかし、百発百中を意味する「必ず」という言葉と出会うと思う。
全員がそんな風にできるわけないじゃないか、と。
でも、そうやって自分のなかで言い訳をしているだけじゃないかとも思う。
いろいろな思考が頭をよぎる。
果たしてそういう技術を持っていたところで、それをすることが相手にとっていいことなのだろうか。
相手が望むのであればいいのだろうけど、そうでなかったら・・・
そんな風に考えていると、今私の塾に来ている子どもたちは、100%自らの意志で来ているわけではないという言い訳がまた頭に浮かぶ。
こんなことを考えながら、また「技術」にはどんなものがあるかと考える。
クロージング技術。
そうだ。これはまさに技術だ。
どんな相手だろうと100%契約することができる。
しかし、今の私にはそれはまだない。
ここは「技術」として身に付ける必要はあるかもしれない。
まだまだ途中だけれど、今のところ百発百中は、アクティブ・ブレインと読書感想文、かな。
引き続きなにを「技術」として身に付けていきたいか考えてみよう。
そして本の最後のほうに、こんな言葉が紹介されている。
「完全勝利は傲りを生じ、
七分の勝利は怠けを生じ、
五分の勝利は励みを生ず。」
これも野口先生が当時の校長先生から言われた言葉だそうだ。
出典は武田信玄公。
この本の最初で百発百中の話があり、最後は完全勝利は傲りを生じるという言葉の紹介。
高みを目指しつつも、常に現状に満足せず、向上心を持つ。
そういう心を持つことの大事さを感じた。
他に細かいところだが、なるほど、と思ったのが、「指名発言」について。
たまに研修会や講習会で最後に質疑応答の時間があるが、そのとき私は結構指名することが多い。
以前はだれか自主的に!と思っていたけれど、なかなか挙手はでない。
でも、終わった後はみんないろいろと感想を言ったりする。
だったら、発言することが苦にならなさそうな人がいたら、その人に助けてもらえばいいじゃない、というくらいの発想で行っていた。
授業や講演が全体として構造的なものである以上、その授業や講演をさらによくするという視点から考えると、指名発言の意味がさらに自分のなかに腹落ちした。
最後に。
この本は1989年に書かれていたことだけれど、まさに今も必要とされていることばかりだった。
これだけの先生が学校教育界にいるにも関わらず、なぜそれが大勢の先生たちに伝わらないのか。
きっと野口先生のことを尊敬している先生方もたくさんいるのだろうけれど、それを消し去ってしまうものが「学校」という「場」には存在しているのだろうか。
いや、実はこういう教育を受けた人たちがたくさんいるからこそ、今の日本が成り立っているのか。
私が知る範囲でしかないが、やはり、そういう教育を受けた人たちはほとんどいない気がする。
こういった素晴らしい先生ややり方があるにも関わらず、それが広まらないのだとしたら、やはりそこにはシステム的欠陥、構造的不具合があるのではないかという考えに至ってしまう。
だとすれば、そのシステムや構造自体を変えることをしなければ、ほんとうにもったいない気がしてしまう。
そう考えるからこその、新しい学校づくりということになる。