夢のようなティーンエイジャーと普通のティーンエイジャー
私たちの思春期向け子育て講座では、「10代を描こう」というワークを通して、あらかじめ、10代の子どもはどのようであるかということを考えてもらいます。
2つのグループに分けます。ひとつのグループには、“普通の10代”、いわゆるほとんどの親が見かける10代の子ども像を描くようにお願いします。できればやや誇張気味に、とお願いします。
この十代の子どもたちを構成しているのは、自己中心的、うるさい音楽を聴く、権力に逆らう、家族より友達を優先、ポスターがぺたぺた張られた汚い部屋、車が大事、自分のライフスタイルが大事、友だちと同じような服を着る(それがどんなに見た目に変なものでも)、イヤフォンをしている、ゲームをする、煙草を吸う、お酒を飲む、といったところです。
このグループではこんなコメントがでてきます。
「いやぁこれは誇張しすぎでしょう。すべての十代がこんなふうではないよ。」
「でも、結構こういうところもあるから、反抗的な態度ということは言えるよね。」
「もし部屋がきれいだったら、私の子どもは普通じゃないってことを思い出させてくれるわ。」
「ちょっと考えてみれば、私もかつては、こんな感じだった。」
この最後のコメントは、私たちは思春期を経験して、成長し変わったのだということを思い出させてくれるコメントです。
もう一方のグループには、“夢のような10代”を描いてもらいます。あるいは、親が10代の子どもにどうなってもらいたいと思っているかということを描いてもらいます。
この10代の子どもたちを構成しているのは、
ダンスパーティーでスターになる、約束を守る(いつも必ず時間を守るといった。)、自発的に人を助ける、両親と話すことが好き(“今日起こったことを全部話させて!”)、体にいい食べ物だけを食べる、テレビは見ない、運動をする、2つの学位をとる(運動と学問)、SATで高得点を取る、1月までに夏休みのバイトの計画を立てる、髪型やメイクアップの費用を自分で稼ぎ、残ったお金は大学や車購入のために貯金、みんなを尊敬する(兄弟も含む)、物事に肯定的に取り組む、ゲームで時間を無駄にしない、そして、成績はいつもA、といったところです。
このグループのコメントは以下。
「こんな10代の子どもがいたら、きっと友だちはいないだろうね。だれもいっしょにいられないよ。」
「こんな10代の子どもがいる友達がいたけど、いっしょにいられなかったかな。」
「私の子どもはこれに近いけれど、ほとんどの時間、かなりストレスを感じているわ。」
「私は子どもに完璧を求め過ぎていると感じたわ、自分自身はそうではないのに。」
「私は何人かこんな子どもを知っているよ、なんだか怖い気がするけどね。」
親はよくこの夢のような子どもを“よい子ども”と見なします。あなたはそうは思わないかもしれませんが、これらの子どもたちは、人を喜ばせなくてはならないと思っていたり、人に認められなくてはならないといった承認中毒者になってしまっているかもしれません。
この子どもたちの親はこの子どもを基準にして、ほかの兄弟に言うのです。
“なんであなたの兄弟のようにできないの?兄弟はなんのトラブルも起こさないのに。”
その“よい子ども”はこういったご褒美をもらえたときだけ自分の重要性を感じるようになるかもしれません。
こういった子どもたちの多くは、最初の失敗で大きく挫折します。
何人かは、大学に入り、自分は特別な存在ではないということを知った時、その競争をうまく乗り越えることができません。
このプレッシャーに耐えられず、トップにいられないことで、自殺をしてしまうこともあるかもしれません。
ほかの場合は、自立が遅れてしまい、親からのプレッシャーを感じなくなった大学生になったとたん、勉強する代わりに、パーティーに明け暮れて1年生を棒に振ることもあります。
すべての10代の子どもたちが見出そうとするのは、
“私はだれで、私はちゃんと生きていけるのか?”
ということです。
10代の子どもたちによると、この自立への道のりは外から見えるものとは、大きく違って見えるようです。
見た目だけで決めつけてバカにしてはいけません。支えのないところで、思春期を過ごすことは、とても大変なことなのです。
もしあなたが、夢のような10代を持つことを夢想しているなら、その子どもは、完璧主義に囚われて、苦しんでいるかもしれないということを心に留めておきましょう。