自由ってうれしいはずなのに、なぜかうれしくない自由がある。
これって少しもったいないような気がします。
今までを振り返ると、「自由」を獲得するために、たくさんの人たちが様々な取り組みをしてきたと思うんです。
たぶん昔に比べれば、今私たちが手にしている「自由の総量」は明らかに多いはずなんです。
では、それを私たちは存分に謳歌できているでしょうか?
先ほど考えたみたいに、せっかくの「自由」なのにうれしくない、むしろ苦しく感じてしまうことがあるのではないでしょうか。
苦しいだけならまだよいのですが、その先につながるかもしれないことを考えると、すごくもったいない気がしてしまいます。
どんなことにつながるのか?
「自由」が苦しいとき。
それは、「自分が何をしたらいいかわからないとき」そして「どうなるかわからないとき」ではないでしょうか。
そういう「自由」のとき、どうすることが多いでしょうか。
こんな感じでしょうか。
「人の言っていることに従う」あるいは、「ほかのみんながやっていることを真似する」
そして、それって結構
「楽」
人間、楽なことが好きという部分はありますしね。
そして、その「楽」に乗っかってしまって、そのままいってしまう。
そして、それがあたかも自分の考えであったかのようになり、さらに、それに気づかない。
そして、だれかがいったことを何も考えずにやっているだけになる。
そうなると、だれかの意見にただ乗っかっているだけのあなたはいったい誰?となってしまう。
一人一人が唯一無二の存在として、この世に生まれたのに、そんな風になるのは、とても悲しいことだと私は思うんです。
多くの先人たちが獲得してきた「自由」なのに、そんなところにつながるなんて、私はとても悲しくなります。
どうしたら、今ある「自由」を存分に堪能できるか?
いろいろ考えてみました。もしかしてこういうことじゃないかな?ということが、「自由」という漢字にヒントがありました。
「自由」
小学生でも書くことができる漢字。
「自由」の「自」は、「自ら」という意味。自分自身ということ。
「自由」の「由」 語源は、「わけ・すじみち」
ですから、「自由」というのは、「自分が自分である理由」ということなんじゃないかって。
自分が自分である理由を知ることで、「自由」になれるんじゃないか?って。
もし、そうだとすれば、今ある自由を存分に堪能しようと思うならば、こんなことが大事じゃないかって。
一つ。それは「感じる」ということ。
自分が何が楽しくて、何が好きで、何がおもしろくなくて、何が嫌いか。そういったことを感じることが、自分を知ることなんじゃないかって。
そして、「感じる」ためにできることは、自分の感情を大切にして、育んでいくこと。
自分の感じたことに、言葉というエネルギーを与えて、育てていくこと。
そうすることで、今までよりもたくさんの「自由」を謳歌できるようになるのではないでしょうか。
また、もう一つあると思います。
それは、「自分から離れることができる」ということです。
「これが自分だ!」とそれしか思えないと、それはまた不自由感がでてしまうように思います。
ですから、今思っている自分は本当の自分なのか?と考えられるようにしておくことは大事だと思います。
そのために、時々、自分の思っていること、考えていること、行動していることに、クエスチョンを持つことは大事なのではないかと思います。
ただ、なかなか自分で自分に問いかけるということができない場合は、だれかに手伝ってもらったらいいと思います。
1人でなんとかする必要はないと思います。
「感じること」そして、「自分から離れることができること」
これが「自由」になるということかなと思います。
そして、今日のタイトルは、「自由に!そして、幸せに!」でした。
もう時間がないので、さっといってしまいますが、ぜひ足りないところは自分で考えてみてください。
みなさんは、幸せですか? ほかの誰かは幸せですか?
幸せはだれが決めるのですか?
私は、「自分」だと思っています。
「自分」それは、自分がだれだかわかっているということ。
ということは、これはほとんど先ほど考えた「自由」と同じ。
ということは、「幸せ」に「自由」は不可欠なものなのではないかと思うんです。
いかがでしょうか。
ガンジーは言っています。
「幸福とは、考えていることと、言っていることと、やっていることが調和していることだ。」と。
でも、私はこれだけでは「幸せ」は片手落ちのような気がしています。
ここに足りないもの、それは「責任」だと思っています。
しかし、ここでいう責任は、みなさんが思っているものとは違うかもしれません。
なぜ「責任」が「幸せ」に不可欠なのか、ということをぜひ考えてみてください。
以上で今日のお話を終ります。
ありがとうございました。
ということで、こんな感じを考えていました。できたところもあっただろうし、そうでないところもあったように思います。
でも、子どもと大人が一緒に対話できたということが、なによりの今回の大事なことだったと思っています。
参加していただいた皆様、ありがとうございました!