褒美の功罪

今日はだいたい月に一度行っている「勇気づけて躾ける」の読書会。

ほそぼそと、ゆるゆると続けて1年くらい経つ。

しかし、今回の内容は、ゆるゆるというよりも、バッサリ、といった感じだったかな。

今日は111ページ目から。

「褒美の功罪」

「よい行いをした子どもに褒美を与えるのは、罰を与えるのと同じくらいの悪影響を及ぼします。褒美も罰も、どちらも相手への尊重の気持ちが不足していることがあらわれています。」

そうは言っても、ちょっとしたことくらいいいじゃないか、という意見もあるでしょうね~

結局は大人が何をしようが、子どもは自分で決めていくので、まぁどちらでもいいんですが(笑)、その「ご褒美」の妥当性にどんな根拠があるのか?ということを考えることはしてもいいのかな、と思います。

もちろん一般的な根拠などなく、自分の経験や考えに則った(私的論理)に基づいたものにすぎないわけですが・・・そういう私的論理に基づいたものにすぎないのに、相手の行動をジャッジするという点で、尊敬の念に欠いている、ということでしょうか。

 

「お互い対等な者同士として尊重し合っている社会では、ある仕事をなしとげるのは、それが必要だからであり、協力しあってひとつの仕事を成し遂げられたことから満足感が得られるものです。」

モノや褒美を与えれば、喜ぶだろうという短期的な視点しかないと、褒美に走りがちなのだろうと思います。

ただ、対等な者同士で尊重し合ったことがない人が大半のような気がしないでもない。

そんななかで、賞罰を使わない教育をしようとするならば、やはりその実体験をする、ということや、トレーニングは必要になるのは必然。

 

ほかにも今回のタイトル「褒美の功罪」に相応しい内容が盛りだくさん。

「家の手伝いとお小遣いははっきりと切り離して分けるべきです。」

「褒美を与えても、所属感は育ちません。」

「満足感とは、貢献と参加意識(子どもの行動に物で報いるという現在のシステムのなかでは実際に育てることができない意識)から生まれてくる感情です。褒美によって子どもの協力を勝ち取ろうという誤った努力のなかで、実は私たちは、彼らの基本的な満足感を取り上げてしまっているのです。」