「Xがその子の心の助けになる」みんなの教育サミットinあいち シュタイナー教育 小中学部を聞いて。

みんなの教育サミットinあいち~15歳までの選択肢~

シュタイナー教育 小中学校 横地優代先生

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シュタイナー教育。幼児の部から小中学校の部へ。

どんな学びがされているのか。とても興味深いところだと思う。

 

「学ぶことが楽しい」

こんな言葉が子どもたちの口から出る。

「先生、宿題が少ない!もっと宿題だして!」という言葉も。

ただ、そこに必須なのは、

子どもの心が動くような学びを教師が与えられている

ということ。

そして、その心が動くような授業のために大切な要素して、その学びがその子の成長に合っているということ。

これらだけではないが、こういったことが揃っていると子どもたちは「学ぶこと」を楽しめるのだと思う。

 

これは、シュタイナー教育だけではなく、あらゆる教育において言えることだと思う。

本人が必要だと思い、それがその子の成長にあっていれば、学びを楽しめる。

公立の学校の先生のなかにも、子どもたちが喜んで宿題をやってくる、という状況がある。

それは、まさにこの「心が動くような学び」を子どもに与えているからだと思う。

先生が授業をする上で、ひとつの考え方として「宿題をやりたい!」と思えるような授業かどうかという視点があると、また違った授業になるかもしれない。

 

「Xを使う算数・数学の学びが、子どもたちの人生の支えになる」

学ぶ知識が、ただ正しい答えを出すためだけではない。

学んだ知識が、今ある自分の状況を支えてくれる。

小学校でXが出てくるのは思春期の始まりのころ。

ちょうどそのころ、社会や自分自身を客観的に観れるようになってくる時期。

そうすると、いろいろな正体不明なものが見えてくる。

そんなときにどうしたらいいのか?

その正体はどうやって突き止めていったらいいのか?

そんなときにXという文字を使う考え方が、そんな不安になったり、もやもやする気持を支えてくれる。

こんな風に捉えている、とのこと。

 

きっともともとはいろいろな学びは私たちのその時々の人生の支えになっていくものだったんじゃないかな。

それがいつの間にか、「何かを得るため」という功利的なものになってしまった。

「学び」はもっと人生に深く結びついているものだと思わせてくれるお話でした。

 

ほかにも、「教科書がない」というところには参加者は大きく関心を持ったようでした。

 

全体を通して、

「丁寧」に「学び」に寄り添っている。

そんな印象を持ちました。