普段、ママたちとともに学んでいる「クラス会議」
これはアドラー心理学をベースとしたライフスキルを身につけることができる話し合いの手法。
しかし、これは全体像のなかの1ピースに過ぎない。
どんな全体像なのかというと、
「ポジティブ・ディシプリンのなかで、人生に必要なライフスキルと態度を養う」というもの。
でもこの「ポジティブ・ディシプリン」ってなんなんだ?というところを自分も感じていたので、改めて。
ポジティブ
たくさんの意味があるけれど、ここでは「肯定的」ということにしよう。
ディシプリン
これもたくさん意味がある。
訓練法、自制心、克己、躾など。
これはどれにしようか迷うな・・・ だいたい育児書とかであれば、躾、ということになるか。
では、どんな躾かといえば、社会で幸せに生きるための自由と責任についてのスキルと態度、というところか。
ということで、
「ポジティブ・ディシプリン」
とは
「肯定的な関わりで、社会で幸せに生きるための自由と責任についてのスキルと態度を養う」
ということになるかな。(そもそも大人がそれを身に付けているのか?ということは今回は置いておこう(笑))
逆を考えてみる。
「ネガティブ・ディシプリン」
ネガティブ
これもいろいろあるけれど、先ほどのポジティブに対応させるのであれば、「否定的」
ということで、
「否定的な関わりで、社会で幸せに生きるための自由と責任についてのスキルと態度を養う」
ということになるか。
たとえば、授業中に静かにしていてほしいとき、
「前、先生が話しているときに何人かおしゃべりをしていました。これからは静かにしてください。もし話したら、その話した人の名前を黒板に書くからね。」
これはネガティブ・ディシプリン。
相手に否定のメッセージを伝え、罰などを通して躾ける。(罰と褒美は表裏一体なので、賞罰ともにネガティブということになる)
話を聞いてもらいたいと思っている人が話をしているときに、割って入るのは礼儀としてはあまりよくないだろう。
そのことはある意味「躾」として伝えなければいけないときはあるだろう。
しかし、その伝え方は「ネガティブ」ではなくてもいい。
「前回の授業では、みんながしっかりと話しを聞いてくれていました。授業をしていて、とてもやりやすかったです。ありがとう。」
ここにネガティブ要素はあまりない。(多少天邪鬼がいて、「俺は聞いてなかったし」という生徒もいるだろうが(笑))
「相手の話を聞くときは、しっかり聴こう。」
そのことを伝えるときに、どちらの方がいいのか?ということ。
もちろんそこには人間関係があるから、どちらがどちらということはここでは言い切れないけれど、
やはり肯定的な関わりの中で伝えたいな~と私は思う。
書いていて、だいぶ自分が分かった(笑)
ただ、困ったことに、今のほとんどの大人(私も含めて)が、「否定的な関わりの中で躾けられてきた」という歴史がある。(幸運にもそうでない人も一定数いるとは思うけれど。)
そうなると、ちょっと困ったら、自分がされてきたこと、あるいは、使い慣れてきたことを使いたくなる。
そうなると、
「ガツンといわなきゃいけないんだ!」(怒鳴る)というような感じになる。
あの〇〇エさんの父のように。(個人的には本当にやめてもらいたい(笑)まぁもう子どもにとったら、クレヨンしんちゃんレベルのファンタジーだと思うけれど(笑))
ということは、意識的に肯定的な関わりの中で、伝えるべきことを伝える、という練習が必要だということ。
生半可ではないですよ、きっと。
だいたい今は親になるまで30年。
会社に入ったとしても、どちらかというとネガティブ・ディシプリン(賞罰も含む)の中で生きている。
そこを変えるわけだから。
きっと一人では難しい。
そんな状況を打破できるのは、「共に学ぶ仲間」だと思う。
共に学び、チャレンジし、失敗し、トレーニングし、励まし合い、喜び合う。
そんなことが大事だと思う。
ちょっと話が飛んだけれど、とりあえずポジティブ・ディシプリンが何なのかということ。
そして、それを大人が身につけるためには、「共に学ぶ仲間が必要」だということ。