ラベル教育を終らせていく

「多様性」という言葉を自分自身もよく使うし、いろんなところで耳にする。

 

単純にいえば、いろいろな考え方や「ダイジ」が違うよね、そういうことが増えてきたよね、ということだろう。

もちろんそれだけで単純に片づけられることではないが、今回は、そういった「多様性」が高まる要因のひとつを考えてみた。

 

ラベル教育の終了

これが「多様性」が高まっている要因のひとつだと思う。

今までは、

「先生の言うことだから・・・」

「親の言うことだから・・・」

「医者の言うことだから・・・」

「上司の言うことだから・・・」

という、その人当人の性質は問われないまま、先生や親、医者、上司などといったラベルで一括りにしてきた。

しかし、主にだれもが様々な情報にアクセスできるという環境や年功序列や終身雇用の崩壊になどにより、そのラベルは残念ながら剥がれてしまった。

そして、そのラベルの下には、一人一人違った考えや生き方をしている人がいるということが明らかになった。

結果、その分多様性が高まったのだと思う。

 

そういうラベルを利用した活動がまだ続いていると思っている人のなかで、問題が起こる。

「先生」になるために、一生懸命努力して、「先生」になって、その「先生」というラベルだけで生徒を指導する場合はその典型的な例のひとつだと思う。

 

もちろんそのラベルの威力が全くなくなったわけではない。

社会に出ても、人の多くがそのラベルによって動いている現状もあるからだ。(ブランドなどはその分かりやすい例)

 

しかし、それだけでは、もうどうしようもないこともあるのだ、ということを意識しなければいけないと思う。

 

「先生」が「先生」であるだけで、相手は話は聞いてくれない。

「親」が「親」であるだけで、相手は話を聞いてくれない。

相手に対しても同じ。

「子ども」を「子ども」というラベルで見なして話をしても、きっと話しは聞いてくれないときがこれからは増えていくと思う。

もうそういう時代なのだ、ということを腹を括らなければいけないと思う。

 

多様性が高まるなかで、大切な事は多様性を受け入れることもそうなのだが、一番は、

自分に向き合うこと

だと思う。

一体自分はどういう価値観を持っていて、どういう世界像を持っていて、なにを目指しているのか。

そして、日々をどのように過ごしているのか。

そういったことを考えることが多様性が高まる環境の中で生きていくために大切なことだと思う。

そして、その「自分」を持って、人と付き合っていくことが大切なことだと思う。