どのような教育が「よい」教育か
第三章 どのような教育が「よい」教育か
1・私たちはどのような生を欲するか
人間的欲求の本質は「自由」である。
自由とは、私たちを制限している自らの諸欲望を十分に自覚し、その上で、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、「生きたいように生きられている」という実感を得ることにある。
また、もし自分だけの利益を考えた「わがまま」な自由であった場合、必ず結果的に自分の首をしめることになるだろう。
ここで論じられている「自由」は絶対的自由ではなく、どういうときに「自由」を感じたのか?ということを考え、その成立条件を考えていくこと。
そして、自由は幸福の本質契機。幸福感を感じるとき、そこには必ず「自由」つまり、生きたいように生きる、というものがある。
その自由を実感できるための最大の条件が、他者からの承認である。
2・よい社会とは
よい社会とは、各人が互いの自由ー各人が<自由>への欲望を持っているということーを相互に認め合うという、<自由の相互承認>が可能である社会のほかない。
今までの歴史を紐解いてみても、結局この自分の自由を他者に認めさせるという戦いである。
では、その自由の相互承認の理念をどうやって実質化していくか。
保証する「法」と「これを設定する「権力」の創設。また各人が十全に自由たりうる「力能」を得るための「教育」を整備すること。
よい「法」と「権力」とはなにか。
それは、一般意思を正当性の基準原理にして「よい」と判断された「法」と「権力」
要するに、一部の人たちだけが「よい」とする法や権力であってはいけない、ということ。
3・よい教育とは、に続く・・・・