「不登校ゼロ」って言葉が気持ち悪い

「不登校ゼロ」って気持ち悪い。

もうこの言葉自体が、「不登校は絶対にダメだ!」と強烈なアピールになることを分かっていないのか。

 

これは「いじめゼロ」とか「待機児童ゼロ」とかそういう問題とは違う。

いじめゼロっていうのも無理はあるけれど、たしかにいじめはよくないからゼロを目指すのは当然だと思う。

 

でも、不登校にはいろいろな不登校があるわけで。

 

今の学校教育にNOを突き付けるものもあれば、

NOというわけではないけど、地域の学校に行かずに、他の教育法を選択した子ども(家族)もいる。

もちろんそこには学校には行きたいけど、いじめなどにあって、ちょっと休養が必要な生徒もいるだろう。

それを、たった一つしか選択肢がない現状で、「不登校ゼロ!」って。

吉野屋しかないのに、全員牛丼食べろ!って言ってるようなもんだ。違うか(笑)

 

そして、ここには圧倒的な上から目線と有無を言わさぬ正義感が漂っている気がしてしまう。

 

学校に行っていなくても、「社会で自立するために必要な力」を養っていればそれでいいではないか、と思う。

まぁここでいう「社会」という言葉の意味も学校の先生の意味するところと、私が意味するところはたぶん違うだろうし、「自立」の意味もそれぞれ違うから結局判断は難しいと思いますけどね・・・

 

いずれにせよ、違う表現があったらいいな、と思う今日この頃。

なんかないかな~