大学のゼミにて・・・

今日の椙山女学園大学の講義。3限目は70名近くの生徒に。4限目はゼミ生7名に。
4限目では、いろいろ質問をしてくれて、こちらもたくさん考えられて貴重な時間だったな~。

 

「自主学校をつくって、よかったことは何ですか。」
よかったことか~うむむむ。
「教育ってなんだろうって考えられたことかな。」と答えました。

 

「自主学校で自己肯定感があがったとして、社会にでてからも、それがきちんと根ざして、支えになりますか。社会にでてから、自己肯定感が下がってしまうことはないですか? たとえば、知識がないとか、他の人が普通にできることが自分にできないとか・・・」

今いる生徒たちの将来を一生懸命イメージ・・・

「多少の上下はあるものの、下支えとなる自己肯定感は揺るがないと思うかな。それはたぶん、人と比べる、ということをやめているから。

自己肯定感が下がるときって、だいたいが人との比較によることが多い。そういったものとある程度決別しているし、それが自分に意志で行われているということが、大きいと思う。」

 

「自主学校を始めたとき、地域の学校へは何の面識もない状態で開校のお知らせに行きましたか?」

「すでに教育長とはフリースクール以外のお話をする関係でしたし、そのほかの熱心な先生ともつながっていたので、まずはその方たちに相談して、いろいろ考えて、とりあえずは面識を作ってから、必要に応じていったほうがいいでしょう、という話になったよ。」

 

「フリースクールにおいても、スクールカーストのようなものはありますか?」

「スクールカーストは、ほぼ同属のなかで行われるものだとするならば、縦割りであるフリースクールでは起きないということになるかな。そもそも年齢が違うので、わざわざそこで格付けするまでもないということかな。みんな違って当たり前、という感覚があるので、学校と同じようなスクールカーストはできないだろうね。ちょっと話はつながらないかもしれないけど、ひとつだけルールを私が決めました。「やめてといったらやめる」です。もしやめない場合は、それは「いじめ」だと話してあります。」

 

「結局既存の学校でも、フリースクールでもやっていることは同じなんじゃないですか?」

「そうですね。子どもを育むというところではいっしょだと思います。ただ、やり方が違う。どちらがいいとかではないと思っています。ひとつ言えるのは、圧倒的に「選択肢」がなさすぎる、というところが課題なのだと思っています。」

 

「既存の学校と違い、知識がない分、やり方や探り方が分からない分、遅れをとったり、ということはありませんか。」

「うーん、ちょっと話が逸れるかもしれませんが、知識があって、自己肯定感などが低い場合と、自己肯定感などが高いが、知識がない場合で、どちらがあとから身につけるのに時間がかかるか考えました。圧倒的に前者のほうが時間がかかります。

つまり、知識を得るよりも、自己肯定感などを上げるほうが時間がかかる、と思っています。」

 

「学校って何なんですか?」

「ほんとだよね。学校って何なんだろうね・・・・」と答えました。

いろいろな捉え方ができるなと思っています。

社会変革機関でもあるでしょうし、国家戦略のための機関でもあるでしょうし、地域の中心となる存在ということも言えると思います。

もちろん、社会で必要なマインドやスキルを手に入れることができる場所でもあると思いますし、人とのつながりを持てる場所だとも思います。

また、それぞれの家庭にある格差をある程度均一にするところだとも思います。

 

「小1でもクラス会議のような自治はできますか?」

「もちろんできます! 全くなにも働きかけなければできない可能性が高いと思いますが、丁寧に伝え続けていけば、小1でも必ずできます。それは自主学校だけではなく、地域の学校でもすでに実証済みです。子どもたちは大人が思うより有能です。ある程度のサポートはそれぞれの状況において必要かもしれませんが。」

 

「こういう学校があっても、やっぱり学校の先生は、勧めることはもちろんのこと、紹介することもできないと思うのですが・・・不登校がでると、自分が対応しきれなかったという評価を受けてしまって・・・」

「たしかにマニュアルにでも書いていないと言及できないでしょうね。吉野家に来たお客に、松屋は紹介できないもんね。でもさ、本当に心からそう思ったら、上司からの評価とかそんなもの投げ捨てて、子どものために一番だと判断することをいってほしいよね。そういう肩書とかすべて抜いた話ができるのが、先生のひとつの特権だと思うんだよね。普通の会社でそんなことしたら、まず売り上げが減ってしまうしね。でも、幸い学校の先生はそういうことはないわけで。そういうとても優遇されている状況なのに、人の評価を気にして、子どもに対応するって本当に残念。塾の先生なら分かるけど・・・ 子どもより自分の評価を優先させるなら、先生なんかやめてしまえと思うよ。塾の先生でもやっていればいい。」

 

「私が小学校のときの先生は、本当に子どもを自由にさせてくれて、楽しかった。既存の学校でもできることなのでは?」

「うん、できると思うよ。先生はなんだってできるはずなんだよね。でも、そこにはそういう意味での先生間スクールカーストはきっとあるよね(笑) 実践はやろうと思えばできると思うけれど、そういった同僚からのプレッシャーに耐えられるかどうかというところかもしれないよね。」

ここでは言えなかったけど、自分だけがその実践をやったとして、子どもたちは翌年自分の担任ではないかもしれないわけで。そうしたときに子どもたちがどのような状態になるのか。そんなことも考えてもいいかもしれない。それも分かった上での実践。

 

ほかにもいろいろな質問がでて、楽しかった。

なかなかこうやって自分ひとりで書いているとでてこないことも、対話のなかではいろいろと出てきます。そして、それに刺激を受けて、またあとでいろいろな考えが湧き出てきたり。