子どもに「問いかける」ときに大切なこと

「クラス会議で子どもが変わる」

子どもに向けたケアリングのメッセージについての章。

 

「救い出すこと・説明すること」よりも「問いかけること」

とある。

事例として、

ある寒い日・・・

”「外は寒いから、上着を忘れないようにね」

これは、説明し、救い出しています。

 

「休み時間に外へ出る前に、考える必要のあることは何ですか?自分を守るためにする必要のあることは何ですか」

これは問いかけ。”(「クラス会議で子どもが変わる」より引用)

 

家でこんなことやったら、うざがられること間違いなし(笑)

でも基本的には、説明し、救い出すのは自立に向けては得策ではないでしょうね。

家だったら、何も言わず「いってらっしゃい」でしょうね。

でも風邪をひかれて困るのは保護者なので、それでも何か言いたいならば、「今日の気温は最高気温12度、最低気温3度」くらいでしょうかね(笑)

それでも十分厭味ったらしいかもしれませんが(笑)

 

なんで厭味ったらしく聞こえるか・・・

それは自分の答えが正しいと思っているから。

 

こちらが答えとしてもっている、「寒いときは上着を着なきゃ風邪をひく」という答えが完璧に正しいと思っている。

そこに対しての誘導のような問いかけなので、嘘くさい問いかけだし、厭味ったらしく聞こえるのだろう。

 

「相手に悪いことしたら、どうするんだっけ?」

もちろん、謝る、という言葉を引き出すために言っている。

 

「帰ってきたらどうするんだっけ?」

もちろん、まず手を洗う。

 

でも、この「もちろん」はあくまで保護者の「もちろん」であって、例外は必ずある。

子どもにとったら、「帰ってきたら、まず友達の家に遊びに行く」かもしれないし。

あくまでも自分の「もちろん」であって、絶対的、普遍的正解ではない、と知っている、気づいているだけで、違った響きになると思う。

 

大人は子どもよりも確かに経験も多いし、思考もできる。

しかし、自分が経験したことが必ずしも正しいとは限らない。

私たち大人が見て、感じている世界と、子どもたちが見て、感じている世界はおそらく大きな違いがある。

その違いを認め、尊重し、相手のことを信頼し、そして「問いかける」ということが大切なんだろうと思う。

 

もしあえて私が何かを伝えなきゃいけないという状況であれば、

「俺の経験上は、こんな日は上着は来ていくかな。寒いの嫌だし。まぁでもこれはあくまで俺の場合だからね~ 君がどうするかは君が決めれば?」

って言うかな。

そして、どんな答えが返ってきても、「へ~」っていって終わりだろうし、もし上着を着ていかずに行って、帰ってきて、「やっぱり寒かったよ~」と言われたら、「ほらみろ!」という言葉はぐっとこらえて(笑)、「そっか、寒かったか~」と一言って感じかな。

 

ちょっと話しが飛んだかな。

特に自分が経験したり、うまくいったと思っていることなどに関して「問いかけ」をする場合は、あくまで自分の持っている答えは自分だけのものに過ぎない、という感覚を持つことが大切だと思う。