国家戦略施設としての「学校」

今たまたまのご縁で「学校」ということについていろいろと考えることができている。

子どもの成長という視点だけでは見えないところ。

 

そして、実感したのは、学校はやはり国家戦略施設としての教育機関であるということ。

国の機関である文部科学省がトップなのだから当たり前なのだけれど。

そして、その内容や結果を見てみると、やはり中央集権国家として国を強くしようとしている。

そのための教育といってもいいと思う。

いい例が「学力向上」

地方ががんばって、子どもたちの学力を向上させたとして、その学力が向上した生徒はどこにいくのか。

基本的に大都市に流れる。

学力が高い人が優秀というわけではないけれど、国が判断している優秀な人材というのは地方には残らない可能性が高いということになる。

まぁ一部の人が中央を支えてくれれば国はいいわけで、そこに漏れた人に関しては、どうでもいいんだろうと思う。

いわゆるエリート教育というやつ。

ただ、国として必要な人材がそういうものなのだとすれば、それはそれで妥当な戦略だとも言える。

 

だから、地方は地方での教育戦略が必要なのだと思う。

国が必要としている人の能力と地方が必要としている人の能力は違うように想う。

また、その地方が必要としていう人材も、その地方地方で違っていると思う。

それぞれの地方に住んでいる人が、当事者意識をもって、自分の地域ではどういう人材が必要であるかということを考える必要があると思っている。

いい例が以前岐阜で話を聞いた可児高校の取り組みだと思う。

そこには、一旦地元外にでていったとしても、いずれ戻ってきたいと思わせるような仕組みを作っている。

 

地域は地域の教育戦略を持つことで、地域の特色がでると思うし、愛着も持てる。そして、それが当事者意識につながっていき、地域の力になっていくと思う。

そんなことも考えつつ、自主学校 瀬戸ツクルスクールもやっていたりする。

国が見向きしなかった人たちが才能を開花し、地域の人たちの力で地域を盛り上げていく。

そんなことができたら、すごく痛快だ。