オルタナティブ教育を話題にすると、たまに名前がでてきた天外伺朗さん。
ようやく本を読んでみた。
全体としては、前半は歴史を紐解いたり、国の資料を引用したりと、天外氏ならではの内容のように感じた。
後半は、それに比べると力強さを感じなかった。
国家主義教育学
現在の日本の学校教育の方向性はこちらの部類。2つの両面性を持っている。
A:国家や支配者に忠実で、隣人に親切で、社会のルールやマナーをよく守り、勤勉で国の発展に献身的に貢献する人を育てる。
B:国に押しおしつけられた枠の中でしか発想できず、視野が狭く、自らの価値観を確立できず、個性や独創性に乏しく、ひとつの方向に猪突猛進する、洗脳された戦士を育てる。
そして、保守派はAを利点を考え、「行き過ぎた戦後の民主主義教育」がそれを破壊したと考える。
革新派はBの欠点を挙げ、戦争を起こさないために全面的に改訂しなければいけない、と考える。
もちろんどちらも基本的には、そういう「傾向」があるというだけで、完全にそうなるわけではない。それでも確かにそういう「傾向」はある。
人間性教育学
国家主義教育学と対比されているが、前述のような両面性についての記述はない。
実際に現在自分がやっていて思うことをある程度対比して考えると
A:国家や支配者よりも、自分のいる共同体に対して主体的に関わり、ルールやマナーよりも個人の考えを大切にし、活発で、個人や共同体の発展に重きを置く人を育てる。
B:枠のなかで収まることをせず、視野が広いということはないかもしれないが、自分の価値観を確立でき、個性や独創性が豊かで、いろいろな考えを尊重する協力者を育てる。
といった感じかな。
Aを批判する場合は、それでは国が存続していかないじゃないか、という感じか。
Bを批判する場合、一点突破のようなまとまりがつくれないじゃないか、という感じか。
こういった対比は書いていないものの、この人間性教育学は「いまの社会の常識にとらわれずに自らの価値観を熟成し、社会を改革する力を十分に身につけた人に育っていく。」と書いてある。
ただ、いずれにしても、そういう「傾向」があるというだけで、決定的なものではないと思っている。
そして、どちらもいけないというわけではないと思う。
どちらも必要。
後半部分は、どうしたら「生きる力」が育めるのか?ということに対しての提案。
「生きる力」は「原始の脳」を鍛える必要があるということは納得。
ただ、この原始の脳、古い脳がどのあたりまでを示すかは書いていない。
脳幹と大脳基底核はきっとそれにあたる。
大脳辺縁系はどっちかな。
大脳新皮質は違う。
いずれにせよ、大脳新皮質は「生きる術」を育むところであって、「生きる力」を育むところではないだろうと思う。
そして、この「生きる術」(たぶん読み書き計算、学歴など)に注力するあまり、「生きる力」を育む教育がなされていないのだろうと思う。
そう考えると、「生きる力」を育むためには、
食べること
危機管理
人とつながること
感情を大切にすること
に力を入れることは考え方として妥当だろうと思う。
このあたりは、改めて現在行っている自主学校の方向性を下支えしてくれる考え方だと思った。
そのほかの後半部分は、
基本的にフロイト説をもとの考察なので、「トラウマ」という言葉などが多々でてくる。
私はあまりそういう考え方は好きではないので、「そう考える人もいるんだね~」といった感じ。
普段自分が接している考え方とは違うところも多々あって、改めて自分の考えが浮き彫りになってよかった。