アドラーとフロイトの違いから考える

明日はママーズ(学級サポーター学習会)四期生

今回の宿題は、自分の身の周りで起きたことに対して、フロイト的視点とアドラー的視点で考えてレポート、という一見するとなかなかハードな宿題。

それでもそれぞれが自分の事例について書いてくれて、こちらもなるほどな~と思うこともたくさんあり、よい学びとなりました。

「働くこと」

「子育てについて学ぶこと」

「愛犬が病気になってしまったときのこと」

「乾電池のサイズを間違って買って来て泣き始めたこと」

「対人関係で嫌な感情になること」

そのほかいろいろと、それぞれについて2つの考え方で考察してもらいました。

ひとつのことを学ぶときに、その対極にあるもの、あるいは、違いのあるものと同時に考えると、それぞれの主張などがより明確になり、わかりやすいなと思いました。

以下、ヒューマン・ギルドが出版している「アドラー心理学教科書」より

アドラー心理学と古典フロイト心理学との比較

アドラー:人間は社会的存在である。 フロイト:人間は動物的存在である

アドラー:人間行動の目的を理解する フロイト:人間行動の原因を理解する

アドラー:治療とは勇気づけである  フロイト:治療とは洞察である

アドラー:人間を援助しようとする  フロイト:人間を理解しようとする。

などなど

 

ちなみに乾電池のサイズを間違って買って泣き始めたときについてはこんな感じですかね。

アドラー(目的的)

泣くことで、なにか達成したいことがある。例えば、自分の気持ちを聞いてもらいたい、とか、自分にはどうしようもできないと見せかけ、ほかのだれかに乾電池を買ってきてもらいたい、とか。

フロイト(原因的)

自分の欲しいものが手に入らなかったから泣く。サイズが違っていて動かしたかったものが動かないから泣く。などなど。

 

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↓この本も面白いです!